NAKAMOTO PERSONAL

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「生かされなかった朝日の教訓 」

「米政府の慰安婦問題調査で『奴隷化』の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/world/news/141127/wor1411270003-n1.html

 米政府がクリントン、ブッシュ両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。戦時の米軍は慰安婦制度を日本国内の売春制度の単なる延長とみていたという。調査結果は、日本側の慰安婦問題での主張の強力な補強になることも期待される。

 米政府の調査結果は「ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)米国議会あて最終報告」として、2007年4月にまとめられた。米側で提起されることはほとんどなかったが、慰安婦問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、マイケル・ヨン氏とその調査班と産経新聞の取材により、慰安婦問題に関する調査結果部分の全容が確認された。

 調査対象となった未公開や秘密の公式文書は計850万ページ。そのうち14万2千ページが日本の戦争犯罪にかかわる文書だった。

 日本に関する文書の点検基準の一つとして「いわゆる慰安婦プログラム=日本軍統治地域女性の性的目的のための組織的奴隷化」にかかわる文書の発見と報告が指示されていた。だが、報告では日本の官憲による捕虜虐待や民間人殺傷の代表例が数十件列記されたが、慰安婦関連は皆無だった。

 報告の序文でIWG委員長代行のスティーブン・ガーフィンケル氏は、慰安婦問題で戦争犯罪の裏づけがなかったことを「失望」と表明。調査を促した在米中国系組織「世界抗日戦争史実維護連合会」の名をあげ「こうした結果になったことは残念だ」と記した。

 IWGは米専門家6人による日本部分の追加論文も発表した。論文は慰安婦問題について(1)戦争中、米軍は日本の慰安婦制度を国内で合法だった売春制の延長だとみていた(2)その結果、米軍は慰安婦制度の実態への理解や注意に欠け、特に調査もせず、関連文書が存在しないこととなった-と指摘した。

 ヨン氏は「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と語った。(ワシントン駐在客員特派員・古森義久

 ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班(IWG)】 クリントン政権時代に成立した「1998年ナチス戦争犯罪開示法」と「2000年日本帝国政府開示法」に基づき、第2次大戦での日独両国の戦争犯罪の情報開示を徹底させる目的で00年に始まった調査。国防総省国務省、中央情報局(CIA)、連邦捜査局FBI)などに未公開の公式文書を点検し戦争犯罪に関する資料の公開を指示した。

朝日新聞は日本の「宝」である

朝日新聞は日本の「宝」である


北海道新聞慰安婦検証特集 生かされなかった朝日の教訓」(BLOGOS)
 → http://blogos.com/article/99855/


北海道新聞が11月17日付朝刊で、戦時下、朝鮮人女性を慰安婦にするため強制連行したとするいわゆる「吉田証言」に関する過去の記事を取り消し、おわび記事を掲載した。同時に2面にわたって慰安婦問題の検証特集も載せた。その名も、朝日新聞が8月上旬に載せた特集と同じ「慰安婦問題を考える」。朝日新聞は検証が不十分などと批判され、池上彰氏の検証コラム見送り問題や「吉田調書」報道の取消しも重なり、信頼が大きく傷つき、社長辞任という結末を迎えた。北海道新聞はそうした経緯を見届けた上で今度の検証記事を出したのだから、さぞかし同じ跌を踏まないよう慎重に検討を重ねたに違いない。はたして朝日の教訓は生かされたのか、検証してみた



北海道新聞2014年11月17日付朝刊1面


朝日になかった「おわび」 過去の記事は全て公表
朝日新聞の検証特集の場合、虚偽の証言を報じた記事を取り消したにもかかわらず、一言もおわびがなく、「慰安婦問題の本質 直視を」と題する記事で主張を優先するあまり真摯な反省に欠けているとの印象を与えたことが、批判の一因となった。これに対して北海道新聞は1面で「『吉田証言』報道をおわびします」と題する囲み記事を掲載。検証記事でもおわびを表明し、主張を全面に出すような記事は載せなかった。

朝日新聞は取消し対象になった吉田氏に関する記事が16本もあったのに、検証記事では初報の1本の見出しと概要を説明しただけで、その後の記事の内容や経緯をほとんど明らかにしなかった(批判を受け、10月10日付朝刊で12本の見出しと概要を公表)。他方、北海道新聞は吉田氏に言及した8本の記事すべて概要を掲載した。

朝日新聞の検証記事は、当時は似たような誤りが他のメディアにもあったことを強調していたことも問題視されていたが、北海道新聞は他紙との比較検証はしなかった。

これらの点は、いずれも当然の対応であって特筆すべきものではないが、「朝日の教訓」が生かされた部分といえよう。だが、もう少し仔細にみていくと、首を傾げざるを得ないいくつもの疑問が浮上してくる。


23年ぶりの取消し 理由説明なし
朝日新聞の検証記事が一番足りなかったと批判されたのは、今回の取消し措置が初報から32年もかかった要因について何も説明がなされなかったことだった。紙面批評コラムの掲載を一時見送られた池上氏が、最も強調した問題点もそれだった。そうした批判を受け、朝日新聞社慰安婦問題に関する第三者委員会を設置。10月9日の初会合で、「取消しまで長い時間がかかった理由」も含めて調査する方針が明らかになった(【GoHooトピックス】慰安婦検証第三者委員会 初会合開かれる参照)。しかし、北海道新聞が11月17日に載せた検証記事にも、初報の1991年11月から23年間、「取消しまで長い時間がかかった理由」には全く言及していなかった。ただ、次のような説明があった。

吉田氏の証言に対しては90年代初めまでに疑義が出ていました。生前の吉田氏に再取材しておけば、早い段階での事実確認が可能だったかもしれません。報道機関には記事内容に疑問があれば自ら検証し、読者に説明する責務があります。北海道新聞がそれを怠り、裏付けの乏しい記事をそのままにしてきたことを、読者の皆さまにおわびし、「吉田証言」記事を取り消します。北海道新聞のこれまでの記事を蓄積しているデータベースの当該記事には、吉田氏証言の信憑性が薄いと判断し、取り消した旨を付記します。

これでは「90年代初めに疑義が出ていたのになぜ検証をしなかったのか」「生前の吉田氏に再取材できなかったのはどうしてなのか」という読者の素朴な疑問に全く答えていない。実際、22日付同紙の「読者の声 はい読者センターです」欄によれば、検証特集掲載後、読者センターには「20年以上もの間、何をしてきたのか」「知らんぷりをして頬かぶりをしてきたのではないか」「検証記事では経緯がよく分からない」といった声が寄せられたという。そうした批判は、「朝日の教訓」を想起するまでもなく当然予想できたことであろう。朝日新聞と同様、北海道新聞もまた、検証すべき最も核心的な問題に答えなかったのである。しかも、朝日新聞のように、これから検証するという動きも今のところ見られない。

そもそも、北海道新聞が何をきっかけに、いつから吉田証言の検証、再取材を始めたのか、検証特集の記事からは時間軸が全く見えてこない。朝日新聞もその点は明確にしていなかったが、「一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している」事情や、今年4〜5月に済州島を取材したことを明らかにしている。



北海道新聞2014年11月17日付朝刊13面、特集「慰安婦問題を考える」のおわび記事全文


取り消したのは初報の1本だけ
北海道新聞は今回、吉田氏に言及した記事が8本あったと公表した上で、「『吉田証言』記事を取り消します」と表明した。ところが、実は取り消しをしたのは初報の1本だけで、残りの7本は訂正も取消しもされていないことが、読売新聞などの他紙の報道と北海道新聞社広報担当者への取材で判明。データベースでも確認できた。しかし、検証記事には、「初報だけ取り消す」とはどこにも書かれていなった。当然、残りの7本を訂正・取消し対象にしなかった理由も全く触れていない。普通に読めば、公表された8本すべてを取り消したと読者は理解するだろう。朝日新聞も、吉田氏に言及した16本すべてを取り消すと検証特集に明記していなかったが、すべて取消しとなっていた。「初報だけ取り消す」ならなぜそのように検証特集で説明しなかったのか、重大な疑問が残る。

北海道新聞社広報担当者に聞くと、「続報では吉田氏がソウルに訪問したことなど動かしがたい事実を報道したもので取り消しようがない」とのことだった。だが、続報のほとんどが、証言内容が真実であることを前提とした報道になっていた。なぜ一部訂正、一部取消しといった対応もとらなかったのか。それだけでなく、吉田氏が国会で参考人として招致されることが決まったと報じた記事も、実際には招致が行われず、当時訂正や続報を出していなかったのに、今回も放置されたのである。


訂正・取消しから除外された7本の記事の一部抜粋

 戦時中、朝鮮人女性を旧日本軍の従軍慰安婦として強制連行した日本の元労務報国会幹部が北海道新聞記者に、しょく罪の気持ちを込めて連行の実態を告白したインタビュー記事(十一月二十二日本紙朝刊)が、韓国の代表的夕刊紙、東亜日報の二十六日一面準トップ記事として紹介、韓国民に新たな衝撃を与えている。(1991年11月27日付朝刊26面)

 弁護団は、連行の実行行為者だった元山口県労務報国会動員部長の吉田清治さん(78)=千葉県在住=の証言も証拠としてそろえ、軍と行政が一体となって行った実態を具体的にあぶり出す作戦だ。(1991年12月6日付夕刊21面)

 吉田さんは戦時中、半官半民組織の山口県労務報国会動員部長を務め、朝鮮半島から女性千人を含む約六千人を戦地や日本へ強制連行した。
この中には福岡の陸軍西部軍司令部から「皇軍慰問・朝鮮人挺(てい)身隊」の極秘労務動員命令書を受けて行った連行もあった、という。
戦後、その体験を語ることで過去を償い続けている吉田さんは、国会で証言することについて「事実を語ることは私の義務。証言が元慰安婦に対する早期の補償につながってくれれば」と話している。(1992年2月15日付朝刊3面)

 昭和十七年から敗戦までの三年間、山口県労務報国会動員部長を務めた吉田さんは、陸軍西部軍司令部などの指示に従い女性約千人を含む朝鮮人約六千人を強制連行した。
その中でも特にひどかったのが従軍慰安婦にされた女性たちの連行方法で、「四、五日から一週間で若い女性五十人を調達しなければならなかったので警察や軍を使って乳飲み子のいる若い母親にまで襲いかかり、奴隷狩りそのものだった」という。(1992年2月25日付朝刊3面)

 戦時中に朝鮮人女性を従軍慰安婦として強制連行した元山口県労務報国会動員部長の吉田清治さん(78)=千葉県我孫子市在住=が十一日午後、ソウルを訪れた。十四日まで滞在し、元従軍慰安婦との面会などを通じて、自らの行為と旧日本軍の蛮行に対し、直接謝罪することにしている。(1992年8月12日付朝刊22面)

 吉田さんは「(慰安婦狩りは)五十人くらいの日本人警察官が韓国人の警察官を引率して村を回る。村は泣き叫ぶ声でパニック状態」と生々しい体験談を語り、従軍慰安婦の実態解明を怠る日本政府とそれに同調する一部知識人の姿勢を厳しく批判した。会場には何人かの元従軍慰安婦も出席していたが、吉田さんは証言後、金学順さん(68)と向かいあい、「あなたの前で土下座しておわびしたい」と深々と頭を下げた。(1992年8月13日付朝刊23面)

 「私も迫害を受けたが、支持してくれる人はもっと多い」と語るのは、朝鮮半島から女性を強制連行した体験を公表した元山口県労務報国会動員部長、吉田清治さん(78)=千葉県在住=。「慰安所の実態はあの通り。五十年間の沈黙を破る歴史的な証言だ」といい、「国民的な反省と謝罪をしないと、反日感情がどんどん再生産されてゆく」と強調する。(1993年9月14日付朝刊22面)


取消しとなった「吉田証言」初報(北海道新聞1991年11月22日付朝刊31面)


「誤報とは言い切れない」と非公式コメント
さらに、驚くべきことに、北海道新聞社は初報の記事を取り消したにもかかわらず、メディアの取材に対し、その初報すら「誤報とは言い切れない」と回答していたことが分かった。記事の取消しは通常、誤報だった場合にとる措置である。訂正との違いは、記事の主要部分、根幹部分に誤りがあったかどうかである。検証特集の紙面のどこを読んでも「誤報とは言い切れない」などという弁明は書かれていない。もちろん「誤報」という表現もないが、普通に読めば、北海道新聞社が誤報と判断したがゆえに取り消したと読者は理解するだろう。

他のメディアですらそう認識し、混乱が発生した。毎日新聞は検証特集が掲載された11月17日の夕刊に「北海道新聞も記事取消し 慰安婦問題 吉田証言『誤報』」と見出しをつけて報道。だが、翌日朝刊では「北海道新聞 誤報は否定 『吉田証言』撤回」と事実上修正した。

検証特集では「誤報とは言い切れない」とは一言も触れていない。だが、同社の広報担当者は「誤報とは言い切れない」という理由は「紙面を読めばわかる」という。そこには次のように書かれていた。

 北海道新聞は、過去の報道経緯を当時の記者などから聴いたり、吉田氏が著書で慰安婦狩りをしたと書いた済州島の古老や郷土史家、ソウルの研究者などを訪ねたりして、証言の内容を検証した。
その結果、著書と記事の内容を裏付ける証言や文書は得られなかった。吉田氏本人は死亡しているが、日本の研究者の間でも証言は学術資料たりえないとの見方が強く、信憑性は薄いと判断した。

「信憑性はない」と言い切らず「信憑性は薄い」と表現している。朝日新聞のように「証言は虚偽」と断定していない。だから、「誤報とは言い切れない」という認識を示したと思われる。おわび記事を改めて読むと、吉田証言の初報を掲載したことに対しておわびをしたのではなく、証言の信憑性に疑義が生じた後長年にわたって検証を怠ったことに対しておわびをしたようにも読める。

では、なぜそう紙面で説明しないのか。再取材で「著書と記事の内容を裏付ける証言や文書は得られなかった」というのに、「信憑性はない」ではなく「信憑性は薄い」と判断したのはなぜなのか。検証特集に掲載された学者のコメントには、吉田氏が所属していたという労務報告会が日本内地の一地方組織にすぎなかったことや、強制連行したという時期に済州島に日本軍がほとんどいなかったことなど、証言の信憑性を否定する事実も出ている。にもかかわらず「信憑性は薄い」あるいは「誤報とは言い切れない」というのは、証言が真実だと信じるに足りる理由が何か別にあるのか、単に「誤報」と認めたくないだけなのではないか。報道内容に裏付けがないことが判明したら「誤報」ではないのか。

いずれにせよ、読者に新たな疑問を募らせるだけで、理解に苦しむ検証記事である。


北海道新聞2014年11月17日付朝刊13面の下半分。検証とは名ばかりで、既知の事実関係を時系列で整理しただけだった。


「韓国紙が異例の大々的報道」でも世論に大きな影響なし?
検証記事は、「吉田証言」を取り上げた報道の影響についても次のように述べている。

証言を取り上げた本紙報道(91年11月)が韓国紙に報じられた影響について、韓国の元外交官やメディア関係者、研究者らに尋ねたところ、世論に大きな影響を与えたものではないとの見方が一般的だった。吉田氏の著書は89年以降、韓国語訳されている。

しかし、北海道新聞は91年11月27日付続報で、自社の「吉田証言」の初報が韓国に及ぼした反響について「韓国紙、異例の大々的報道」「広がる衝撃」「韓国民に新たな衝撃を与えている」などと報じていたのである。それによると、東亜日報北海道新聞の記事を一面準トップ記事で取り上げ、「『挺身隊徴用は奴隷狩りだった』との7段カット見出しを付け、『泣き叫ぶ女たちを殴りつけ、乳飲み子を引きはがしてトラックに積み込んだ』などとする様子を赤裸々に紹介。百五十行の長文記事を一面から二面にわたって編集する異例の紙面づくりだった」という。23年たった今になって「韓国の元外交官やメディア関係者、研究者らに尋ねたところ、世論に大きな影響を与えたものではないとの見方が一般的だった」と言っても、当時の報道という証拠を前にしては、説得力に乏しい。



北海道新聞1991年11月27日付朝刊26面


ほとんどが「まとめ」で実質的な検証はごく一部
このほかにも疑問点として指摘すべきは、記事の取消しをしたにもかかわらず、1面の「おわび」も検証特集記事も、識者のコメント以外すべて匿名で、責任者の名前が全くなかったことである。朝日新聞の場合、杉浦信之編集担当取締役=のちに解任=の署名記事が1面に掲載され、検証記事全体が杉浦氏を責任者として作成されたことが分かるようになっていた。

また、北海道新聞の検証特集「慰安婦問題を考える」は見開き2ページに掲載され、見開き2ページを2日連続で掲載した朝日新聞と比べると外形的には半分の量だが、実質的にはそれよりもっと少ない。1ページ目は3人の有識者慰安婦問題に関するコメントで埋め尽くされ、そのほとんどが自社の報道検証とは関係がない内容だった。ちなみに、取り上げられたのはノンフィクション作家の半藤一利さん、東京基督教大学教授の西岡力さん、京都大学大学院教授の永井和さん。「従軍慰安婦問題の本質は、朝鮮民族の女性の人権をまったく無視し、ひどい思いをさせたというヒューマニズムの問題だ、という認識をもつかどうかだ」で始まる半藤さんのコメントが、他の2人よりひときわ大きな扱いだった。

報道検証と呼べる記事は、2ページ目の上の3分の1程度のスペースを割いた「本紙『吉田証言』でおわび 証言の信憑性薄いと判断」だけだった。残りのスペースは、「日韓条約 混迷の原点」と題して慰安婦問題の歴史的経緯を説明した記事と、「3つの論点」と題して政府・軍の関与、強制性、吉田証言のそれぞれについて説明した記事が載っていた。前者は「元慰安婦への対応など、戦後補償問題を十分に協議しないまま、日韓両政府が『両国の請求権問題は完全かつ最終的に解決した』との合意を急いだことが、問題の混迷を招いたと言えそうだ」と北海道新聞の見解が示されたほかは、淡々と事実関係を時系列に羅列してまとめただけだった。後者も、各論点の議論の経緯と対立する立場の見解を淡々とまとめただけで、何ら新たな取材、検証をした形跡がなかった。つまり、2ページ目の3分の2のスペースは実質的に「検証」ではなく、既知情報の「まとめ」記事にすぎなかった。

検証が不十分といわれた朝日新聞も、検証特集の初日の見開き2ページの大半を4つの論点に関する自社の報道検証に割き、紙面的には力の入れようが読者に伝わる構成だった。2日目も、1ページ目は慰安婦問題の詳細な経緯をまとめただけだったが、2ページ目は初日の検証記事に対する識者3人の批評コメントを載せていた。これと比較して、北海道新聞の検証記事は、朝日の検証記事から3か月以上も遅れての「取消し」となったにもかかわらず、構成面をとっても内容面をとっても、時間とリソースをどれだけ費やして作ったのか、甚だ疑問の残るものだった。

『2014年11月17日(Mon) 道新の“おわび”』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20141117