NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

「視霊者の夢」

「豪Lifehackerスタッフが『霊の声を聴く人』と会ってきた」(ライフハッカー
 → http://www.lifehacker.jp/2014/10/141001ghost.html

スージー・プライス(Suzie Price)さんは、オーストラリアの霊能力者で、自らを「ゴースト・ウィスパー(霊の声を聴く者)」と名乗っています。先日、豪Lifehackerのスタッフ3人が、スージーさんの「サイキック・リーディング」を体験しました。サイキック・リーディングとは、説明できない力でさまざまなことを言い当てる特殊な能力のこと。このような能力にもさまざまな種類がありますが、今回スージー・プライスさんが行ったのは、彼女が知るはずもないことを言い当てるサイコメトリーと、家族など身近な故人のメッセージを伝える降霊術です。今回訪れたスタッフ3人はそれぞれ、懐疑的、中立、信じている、という立場。さて、結果はいかに...。

スージー・プライスさんはオーストラリアの著名な「霊媒師」であり、15年以上にわたり個人に対するリーディングを行ってきました。彼女は2014年、国際サイキック協会の「ピープルズ・チョイス」賞に選ばれています。また、自身の最初の本を出版したばかりです。
スージーさんは、7歳で交通事故にあってから、霊と交信できるようになったそうです。彼女は、この才能を活かして、人々が愛する故人とつながることを助け、1回につき150豪ドルを受け取ります。彼女のウェブサイトには以下のように記されています。

スージーにもたらされる霊的なメッセージは、衝撃的かつ驚異的だ。スージーはクリアで天使のようなメッセンジャーであり、彼女のサイキックリーディングは、多くの人に予期せぬ驚きをもたらす。スージーの優しく、誠実で、正確なリーディングはオーストラリア中に響き渡り、現在では海外からも多くの顧客が訪れる。

この幽霊話が真実がどうかを確かめるため、スージーさんを豪Lifehackerの本社に招き、サイキック・リーディングをしてもらいました。豪Gizmodoの編集者、ルーク・ホープウェルとAllure Mediaのデザイナー、ジョイ・オクスリーも加わります。私(クリス)は幽霊については懐疑的で、科学で説明できないことがあるのは、まだ十分に研究されていないからだと考えています。ルークは根っからの不可知論者で、幽霊の存在については中立的です。ジョイは霊は存在すると考えています。


スージーさんは30代後半の素敵な女性で、豪Lifehackerの勝手な申し出を快く受けてくれました。彼女は、建物のドアをくぐるまで、今日、誰をリーディングすることになるかを知らされていませんでした。つまり、事前にGoogleで情報を集めることは不可能でした。
スージーさんが霊からのメッセージを語りその意味について質問する間、私たちは手を取り合っていました。また、スージーさんは、私たちの個人的な所有物(ジョイと私は結婚指輪、ルークはiPhone)を出すように言い、リーディング中にときどき触れていました。
リーディングは40分間にわたって行われ、さまざまな的を射たメッセージが伝えられました。これらは偶然の産物だったのでしょうか? それとも本当に死者からのメッセージだったのでしょうか? 以下、リーディングを受けた3人の個人的な見解を紹介します。


クリス・イエーガー(懐疑的)

怪談話は大好きですが、超常現象は信じていません。少なくとも、それを信じるに足る確かな証拠を見たことは一度もありません(ぼんやりした人影らしき写真や不思議な光などは、私にとって証拠とはなりません)。

超常現象を信じる人たちは、世界中の昔話に霊が登場することを引き合いに出します。しかし、それは何の証拠にもなりません。そんなことを言えば、妖精や小人、ドラゴンや人魚だって存在することになります。霊が実在するなら、携帯カメラや監視カメラがそこかしこにある現代、なぜ山のように証拠が出てこないのでしょうか?

超常現象とは、石器時代の人類が「闘争か逃走か」という状況で、正しい決断をするための、認知的防衛メカニズムのなせるわざだと私は考えています。恐ろしい霊の存在を信じている人は、(現実的な危険がある)夜間に出歩くのを控えるでしょう。

スージーさんのリーディングを受けたあとでも、私の考えは変わりません。ただ、彼女が話したことのいくつかは、驚くほど的中していました。例えば、ルークのCBSの話は(あとで出てきます)、まさに驚異的でした。また、スージーさんは、3人の家族の中で、誰が故人となっているかを正確に言い当てました。
とはいえ、彼女の質問やメッセージの多くが、要領を得ないものだったのも事実。霊を信じる人は、それは別の霊が邪魔していたのだ、と言うかもしれません。もしそうなら、あの日私たちのオフィスはさぞかし霊でいっぱいだったことでしょう。

スージーの能力が本物かどうかは別として、彼女自身、自分の能力を本当に信じているのか、少し疑問が残りました。とはいえ、これは、信じやすい人をだますだけの、いかさまトランプ占いとは違います。もしあなたがこうしたものを信じるタイプの人なら、払ったお金に見合うものは得られるでしょう。


ルーク・ホープウェル(中立的)

私は、霊現象については中立の立場です。クリスチャンとして、宗教体験や、触れたり、見たり、感じたりできない世界に対してオープンなスタンスです。そうは言っても、人の弱みにつけこんで金を儲けようとする人がたくさんいるのも知っています。

私はずっと「リーディング」のような体験をしてみたいと思っていました。将来、自分の人生がどうなるかに関心があるからです。また、リーディングで未来を予言したり、過去を言い当てることで、人々に「運命の感覚」を与える助けをしていると思います。

「将来、別の職業につきますよ」と言われた人は、新しいキャリアにオープンになるでしょう。「将来、たくさんの子どもが生まれます」と言われれば、子どもを持つことに親しみを覚えるかもしれません。それは、未来予測というよりは、新しい未来に目を開かせる行為です。

とはいえ、交霊会のようなイベントには懐疑的です。ほとんどが言語連想に過ぎないからです。スージーさんのリーディングは、正統で説得力があるものでしたが、私はまだどっちつかずの気持ちでいます。

私は、自分にとって非常に大切だった人が亡くなる経験をまだしていません。その点では私はラッキーです。私はこの「リーディング」で何がでてくるか、とても興味がありました。

リーディングの大半は、私にはあまり関わりのないもので、多くがクリスとジョイの大切だった故人に関するものでした。とはいえ、ひとつショックだったのは、スージーが私の前職について正確に言い当てたことです。

私は以前、ZDNetという出版社で働いていました。その会社は、オーストラリアでは、CBS Interactiveの傘下にあります。あるとき突然、スージーさんは私の方を向き、あなたはCBS Interactiveで働いていましたか? と尋ねてきたのです。それは、オーストラリアのテック系出版事情に相当詳しくなければ、知りようのないことでした。

そしてすぐさま、ABCでのオンエアーの仕事について尋ねてきました。過去数年、私は無数のTVやラジオ、オンライン放送の仕事をしており、数々の番組で、テクノロジーについて話して回っていました。

スージーさんが私の過去を知っている人物と知り合いだった、という可能性もゼロではありません。しかし、彼女は、私たちの誰についても、事前に何も調べていないと断言しています。

私はいまだ中立の立場です。とはいえ、以前より少し「あるのかも」と思い始めています。


ジョイ・オクスリー(信者)

私はいわゆる「幽霊の存在を信じている人」ですが、サイキック・リーディングには少しだけ疑念を抱いていました。人々の感情を利用してお金を儲けたいだけの人が多くいるからです。

しかし、スージーさんはそうした人物には思えません。彼女はかわいらしく、親切で、人々が愛する故人とつながるのを助けられることを、心から喜んでいるようでした。スージーさんは、TVでよく見かける霊媒師と違って、矢継ぎ早に質問をして私たちから情報を引き出そうとはしませんでした。その点でいえば、おそらく私たちは役立たずだったはず。

スージーさんは、故人の名前を尋ね、その人はこのうように亡くなったのでは? と自信なさげに尋ね(ほとんど当たっていましたが)、それから、メッセージを語り始めました。ときには「XはYにとても会いたがっています」とシンプルに言いました。Yがまだ生きているのかの情報を持たないままにです。彼女は、私についてたくさんのことを語り、そのほとんどは気持ちが悪いほど正確でした。私は彼女に何の情報も与えていません。(私がリーディングを受けることも知らされておらず、私の私生活も知っていたはずはありません)スージーさんが話したことは、私が信じている人だというのを差し引いても、「あちらの世界」の存在を考えざるをえないものでした。

3人を同時にリーディングしたことによる多少の混乱を除けば、スージーさんは正真正銘の霊能力者に見えました。


みなさんはどう思いますか? 霊体験をしたことがありますか? 


ある人にはある。無い人には無い。
そもそも“ある”とはなにか。
そもそも、この世はあるのか。

一切は「空」である。
色即是空、空即是色。


孔子さまの見解。

子のたまわく、怪、力、乱、神を語らず。

── 述而第七『論語』(穂積重遠訳)

大哲学者イマヌエル・カントの見解。

 ところでわたしは、霊があるかどうかを知らない。いやそればかりか、霊という言葉が何を意味するかすら、まったくわかっていない。そうはいっても、わたし自身この言葉をしばしば用いるし、あるいは他の人たちが使っているのをきいている。だから、たとえそれがいかなる幻想であろうと、あるいは何か実在するものであろうと「霊」という言葉によって何事かが理解されねばなるまい。

── イマヌエル・カント(『視霊者の夢』)

 ここでカントは認識《エアケンネン》と洞察《アインゼーエン》(あるいは把握《ベクライフェン》)を区別する。「認識」の及ぶ所は「経験と常識の低地」であって、ここをカントは自分のために指定された場所だと見なす。つまり理性によって体験を蒐集分析して検証可能な結論をひき出す世界、つまり近代科学の立場である。彼は学者として「光」の側に立つ。

 これに反して視霊者は自分以外の誰も見たり聞いたりすることのできないものをはっきり見たり聞いたりしたと主張のするのであるから、空想家と言わざるをえない。普通、自分だけに見える世界を持つということは「夢を見ている」ということと同義である。したがってスウェデンボルイのような視霊者も本質的には夢を見ている人や精神錯乱者や酩酊者と類似の状態にあると言える。この主の深遠な学者たちは霊界のことを語り、空想と思弁をたくましくした議論に熱中し、互いに洞察の深さを競い合うけれども、これらはすべて空回りの議論である。つまり問題が「認識」の対象にならないからである。こいう「洞察」に関してわれわれははっきりと「私は知らない」と答えるのが理性者にふさわしい態度であるとカントは言う。カントの「認識」は本論考で使ってきた用語に置きかえればアナリシスであり、「洞察は」アナロジーである。カントははっきりとアナリシスの立場に立つことを宣言し、それを人にもすすめる。

── 渡部昇一『文科の時代』

文科の時代 (PHP文庫)

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