NAKAMOTO PERSONAL

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自分の正しさに酔う正論バカ

「右を見ても、左を見ても『正論バカ』が日本を滅ぼす なんでも『シロ』『クロ』つけないと、納得できない人が急増中!」(現代ビジネス)
 → http://gendai.ismedia.jp/articles/-/40434

正論で言い負かして、良い気になってる、「正論バカ」が、日本中で増えている。会社も人も心折れ、ただ黙って従うだけ。日本はどんどん正しくない道へ。でも誰も言い返せない、だって正論なんだもの。


● とにかく相手をやり込めたい

今の世の中を象徴する、「幻のCM」がある。

そのCMは東京ガスが制作したもの。『家族の絆―母からのエール篇』と題され、女子大生の就職活動をテーマにしている。

何度失敗してもくじけず面接を受け続ける女子大生の娘と、それを温かく見守る母。やっと手応えを感じ、期待が高まるが、最後の最後に落とされる。涙する娘と、優しく抱きしめる母。母はガスに火を点け、娘に手料理を食べさせる。

東京ガスとしては「母娘の愛」を伝えるハートフルなCMのつもりだったのだろうが、これが思わぬ騒動を引き起こす。

「リアルすぎて心が痛む」

「半官半民の『スーパー勝ち組』企業に就活生の辛さが分かるか」

「そもそも、話の中身がガスと関係ない」

こんな批判が吹き荒れ、CMはあえなく打ち切りとなったのだ。東京ガス広報部は、打ち切った理由をこう説明する。

「たしかに批判はいただきました。それだけが理由ではありませんが、お客様の反応もひとつの判断材料とし、放映を中止しました」

注目すべきは、これらの批判を浴びせた人々は、いわゆる「クレーマー」ではないという点だ。自分が何か実害を被り、補償を求めているわけではない。とにかく正論を突きつけて、相手をやり込めたい―そんな動機に駆り立てられた人々なのだ。

メディアコミュニケーションが専門の江戸川大学教授・濱田逸郎氏はこう語る。

「正論をふりかざす批判者たちの目的は、金銭や補償ではない。匿名のまま正論を繰り出して相手を言い負かし、自分の承認欲求を満たすことが目的なんです。まさに一億総覆面レスラー状態になっている。企業が消費者と向き合うことが、ますます困難な世の中になってきました」

こうした「正論」は今、日本のいたるところで蔓延している。そして前述の東京ガスのように、この正論に屈してしまう企業や大人たちが大勢いるのも、また現実だ。

もう一つ、似たような話がある。味の素の『日本のお母さん』というCMだ。朝から晩まで家事と仕事に明け暮れる母親が主人公のストーリー。奮闘する母親の後方で、父親がノートパソコンに向かう姿が一瞬だけ映るのだが、それが『正論好きの人たち』に火を点けた。

「『食事を作るのはお母さんの仕事、しんどくてもがんばりましょう』というメッセージにしかとれない」

「どうして、あの父親は何もせずに後ろで座っていられるのか」

という具合に、「男女差別を助長している」と猛バッシングを受けたのだ。

味の素広報室は、「共感する意見があった一方で、批判する意見もあったのは事実」と言う。批判を受けながらも、CMの打ち切りはせず、予定の期間放送を続けた。

販売中止に追い込まれた商品もある。ファミリーマートの「ファミマプレミアム黒毛和牛入りハンバーグ弁当~フォアグラパテ添え」がそれだ。

ガチョウやアヒルなどに強制的にエサを与え、肝臓を肥大化させて作るフォアグラが、「残酷な食べ物」、「動物虐待」だという批判は世界中で昔からあった。この弁当の販売が発表されると、動物愛護団体などが同じ論理を展開して批判を始めた。

弁当の販売中止を決めたファミリーマート広報・IR部は次のように言う。

「批判的な意見は22件ありました。私どもはフォアグラは一般的な食材と認識していましたが、見解の違いがあったようです。お客様に不快な気持ちを与えるのは本意ではないので、自主規制に踏み切りました」

ここでも、「正論」が企業活動に横やりを入れる構図が見て取れる。


● 「常識」よりも「理屈」

会社が正論すぎて、働きたくなくなる』の著者で、転職コンサルタントの細井智彦氏が言う。

「良い意味でのグレーゾーンが、日本社会からなくなってきています。慣習や伝統は認めず、なんでも『シロ』『クロ』つけないと納得できない人が急増している。日本全体がグローバル化、透明化に向かっており、それが曖昧さを限りなく排除する圧力になっている。その結果、声高に正論を叫ぶ人に対しては、ちょっとどうかとは思っても、従ったほうが無難ということになるんです」

そうやって、いま日本社会のいたるところで起きているのが、「予想される正論」に先回りをして対応策を考えることだ。たとえば、あるメーカーのこんな事例がある。

「春先に会社で学生向けのセミナーをするのですが、今年は大雪などの悪天候で中止になることがあった。なかには中止を知らずに会場までやってきて、『せっかく来たのになんで中止なんだ。交通費を負担しろ』と苦情を言う人もいる。その対策として、『災害その他の理由で中止になった場合、交通費の補償は行っていません』と注意書きを入れる。これは従来も行われていたことですが、ここで新たな議論が生まれた。

たとえば、『中止の場合は交通費が出ないということは、開催されたら交通費が出るという意味か』と、悪意ではなく本気で質問してくる人がいるかもしれない。だから、その対策として、『開催の場合も交通費はお支払いしません』という言葉を追加しなくてはいけなくなる。このように、いろんな可能性に先回りしようとして、文言がどんどんムダに増えているのです」(経営コンサルタント)

従来なら「常識で判断してくれ」のひと言で済んだものが、今ではいちいち明記しないと突っ込まれる。テレビCMや商品パッケージなどにある説明文が、妙に細かく長ったらしくなっているのも、その表れだ。

保険業界の広告は注釈がやたら多いのが特徴。監督官庁からのお達しで『消費者への誤解を与えないため』というのが、一応の理由ですが……」

こう語るのは現役の保険会社社員。現在の自社の広告につくづく嫌気がさしているという。


● 他人の悪事をパトロール

「たとえば、保険料を表示する際、年齢、性別、保険期間、保険料払込期間に加え、『この保険には解約払戻金がありません』ということも表記します。でも、紙の広告ならともかく、CMでわずか数秒表示されただけの文章を全て読める人なんていません。会社側も明記したという『アリバイ』さえあればいい。消費者のためと言いますが、なんの解決にもなっていませんよ」(同保険会社社員)

総合病院で働くある看護師には、こんな経験があった。

「ウチの病院の待合室では、以前はフルネームで患者さんを呼んでいました。でもある時期から、『なぜ人前で名前を呼ぶんだ、個人情報の流出じゃないか』と文句を言う人が出始めたんです。

仕方がないので、患者さんに番号札を渡して、数字で呼ぶ方式に変更したのですが、数字だと自分が呼ばれていると気づかない患者さんが多くて……。そもそもウチの患者さんは高齢者が多いので、ハッキリ名前を呼ばないと、そのまま座ってらっしゃるんです。

結局、何度もお席まで呼びに行かなくてはいけなくなって、前より時間がかかるようになってしまいました。個人情報云々と騒ぐ人なんてごく一部なんですけど、無視できないのがつらいところですね」

他にも、一部のペットボトルには「空容器は投げ捨てないようにご協力ください」などと書かれている。これは、「ペットボトルのポイ捨てを撲滅する企業努力をしろ」との正論に対応した結果である。

ここでもポイントは、そういう正論を吐く人は直接被害を受けているわけではない、という点だ。「ポイ捨て=悪」、この誰も反論できない図式をタテに、一方的に企業に努力を迫っているのだ。

クレーム対応コンサルタントの援川聡氏は、こうした正論バカが増長する理由にインターネットの存在を挙げる。

「今の時代、最初は1~2名からの批判でも、ネットが増幅器の役割を果たし、何十何百倍に膨れ上がる可能性がある。そして、それがまるで世論であるかのような認識をされてしまう。そうなってから反論したとしても、企業に得るべきものはなく、リスクのほうが大きい。なので、企業側は先回りして自粛するわけです」

正論を言えば、大企業が自分にひれ伏す―そんな錯覚を抱き、日々、企業の悪事をパトロールする人々がネット上で増殖している。

前出の濱田逸郎氏が彼らの手口を補足する。

「目的の企業だけではなく、取引相手にまで攻撃をしかけるのです。『電突』と呼ばれ、『なぜあんな企業のスポンサーをしているのか。説明しろ』と、直接電話で要求する。始末の悪いことに、相手の電話番号を含め、『電突の仕方』といったマニュアルがネットに公開される。法的にも対処のしようがなく、スポンサー企業としても門前払いすることができないんです」

こうした現状が、企業側にも一つの「歪み」を生んでいる。「正論バカ」に呼応する「コンプライアンスバカ」の登場である。

前出とは別のある保険会社は、5年ほど前、公式フェイスブックサイトの立ち上げを検討した。

「マーケティング担当役員が、2000万円以上かけて調査会社に委託したんです。でも最終的な結論は『炎上が怖いからサイトは作らない』。部署の若手は『やる価値はある』と反論しましたが、『何かあったらお前ら責任とれるのか』という上司のひと言でオシマイです」(同社社員)

話はこれで終わりではなかった。この社員が続ける。

「それから数年後、他社の様子を見て、さほど危険はないと判断した役員が、SNSを使ったマーケティングをやっと導入したんです。でも、他社がやった後では話題にもならない。システム作りにムダなおカネを遣っただけで、たいした効果はありませんでした。

問題は、完全に仕事として失敗しているのに、数年前に導入に反対した上司は何の責任も取らされないということ。『コンプライアンスを重視して慎重に仕事をした』と主張する社員を、会社としてはマイナス評価しにくいんです」

コンプライアンスバカも、正論バカの一形態だと言える。あれも危ない、これも危ないと、他人の仕事のリスクばかりを挙げつらって潰し、自分自身は何のリスクも負わないし、何も生み出さない。

問題が起きたら逃げる

コンプライアンスバカというのは、わりといい大学を出てお勉強ができる人に多い傾向がある。子供の頃から優等生として育ち、ミスをしたくない、評価を下げたくないという思いが強い。そのため、トラブルが起きる前に回避することばかりを考えて、ツケが現場に回ってくるのです。しかも、こういう人に限って、本当に問題が起きた時には責任逃れをして、まるで役に立たない」(東京工業大学特任教授の増沢隆太氏)

「正論バカ」に「コンプライアンスバカ」。こんな連中が社会を支配するようになれば、そのうち「100%正しい」というものしか認めなくなる。そんなものが存在するかどうかも疑わしいが、いずれにせよ、そういう社会が面白いはずがない。

今年1月から3月まで放送されていた日本テレビ系のドラマ『明日、ママがいない』は、舞台となった養護施設の描き方に問題があるとして猛批判が集まった。スポンサーが次々に降板するなか、代役を名乗りでるも、日テレ側に拒否された高須クリニック院長の高須克弥氏が振り返る。

「あのときのスポンサー企業は、他社が皆降りるから、自分たちも降りようという判断だった。皆が同じ意見になってしまうのは恐ろしいことで、ひとつ間違えば、一企業のみならず国や民族を滅ぼすことだと思います。様々な意見が許容されて、偏り過ぎたら倒れないようにバランスが働く。そんな社会が健全なのであり、少数の大きな声がまかり通る今の時代は、極めて危険だと思います」

前出の細井氏も続ける。

「文句を言われても、ちゃんと答えられるように骨太になっておくこと、腹をくくっておくことです。どんな状況下でも、譲れないものは譲れないと主張していく。正論に無条件に屈するのではなく、その背景というか、正論を吐く人の動機は何なのか、読み取る力を持ってほしいですね」

右を向いても、左を向いても正論ばかり。一々それらに合わせていたら、やがては企業も人も身動きがとれず、何もできなくなる。自分の正しさに酔う正論バカを、時には毅然と無視する見識が必要なのだ。


曽野さんは言います。

 私は適当に少し悪いこともやる人が好きだ。悪いことの量は少ない方がいいに決まっているが、少し悪いことをしたという自覚のある人の方が、自然で、温かくて、人間的にふくよかなような気がする。私は決して悪いことはしません、と宣言できるような厳密な人はおっかなくて、どういう態度で接したらいいのか見当がつかない。
 こんぶと鰹節で出汁を取ったうえで、ちょっとコナを使う。いい味だなあ、あの人はいい奥さんをもらったなあ、思うのである。

── 曾野綾子(『自分の顔、相手の顔』)

自分をまげない勇気と信念のことば (WAC BUNKO)

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