NAKAMOTO PERSONAL

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朝日新聞、嘘を認める

「“慰安婦 強制連行”朝日記事取り消し」(NHK
 → http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140805/k10013569301000.html

 朝日新聞は、いわゆる従軍慰安婦の問題を巡る自社のこれまでの報道を検証する特集記事を掲載し、この中で、「慰安婦を強制連行した」とする日本人男性の証言に基づく記事について、「証言は虚偽だと判断した」として記事を取り消しました。

 朝日新聞は5日の朝刊に掲載したいわゆる従軍慰安婦の問題の特集記事で、1980年代から1990年代初めに取り上げた吉田清治氏という男性の「韓国・チェジュ島で慰安婦を強制連行した」などとする証言について検証しています。
 この中で「チェジュ島を再取材したが証言を裏付ける話は得られず、研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになった」としたうえで、「証言は虚偽だと判断し、記事を取り消す」としています。
 また1990年代初めに書いた記事の一部で、「慰安婦」ということばと「挺身隊」ということばを混同し誤って使っていたことを認め、その理由として「当時は研究が乏しかった」としています。
 そのうえで、一面の記事で「慰安婦として自由を奪われ、女性としての尊厳を踏みにじられたことが問題の本質」だとして、「これからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていく」としています。


「今後も政府の立場説明」
 菅官房長官は閣議のあとの記者会見で「政府としては、河野談話の作成過程の客観的な検証結果を発表した。従軍慰安婦に関する政府の立場は今後とも引き続きしっかりと説明していきたい。いずれにしろ客観的事実に基づく正しい歴史認識が形成されることを望んでいる」と述べました。
 一方、菅官房長官は、アメリカ・ニューヨークの近郊で、いわゆる従軍慰安婦だったという女性たちの尊厳をたたえる記念碑が設置されたことについて「慰安婦像や記念碑の設置は政府の立場と相いれないものであり、今回の措置は極めて残念だ」と述べました。

朝日新聞慰安婦問題で一部反省 吉田証言『虚偽と判断し記事取り消します』」(産経新聞
 → http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140805/plc14080510230007-n1.htm
朝日新聞:慰安婦報道を検証 『強制連行』証言取り消す」(毎日新聞
 → http://mainichi.jp/select/news/20140805k0000e040202000c.html


「『済州島で連行』証言 裏付け得られず虚偽と判断」(朝日新聞
→ http://www.asahi.com/articles/ASG7L71S2G7LUTIL05N.html

 〈疑問〉日本の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。


慰安婦問題を考える
 男性は吉田清治氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。

 朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回、記事にした。初掲載は82年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内での講演内容として「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。

 90年代初め、他の新聞社も集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。

 92年4月30日、産経新聞は朝刊で、秦郁彦氏による済州島での調査結果を元に証言に疑問を投げかける記事を掲載。週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。

 東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという。

 97年3月31日の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者(57)との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。

 しかし、自民党安倍晋三総裁が2012年11月の日本記者クラブ主催の党首討論会で「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言。一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。

 今年4~5月、済州島内で70代後半~90代の計約40人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった。

 干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に携わった地元男性(故人)の息子は「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。「かやぶき」と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する立命館大の河原典史教授(歴史地理学)が入手した当時の様子を記録した映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。

 93年6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑(カンジョンスク)さんは「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語った。

 吉田氏は著書で、43年5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。しかし、今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていなかったことがわかった。吉田氏は00年7月に死去したという。

 吉田氏は93年5月、吉見義明・中央大教授らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している=注?。

 戦時中の朝鮮半島の動員に詳しい外村大・東京大准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は厚生省と内務省の指示で作られた組織だとし、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す。

 吉田氏はまた、強制連行したとする43年5月当時、済州島は「陸軍部隊本部」が「軍政を敷いていた」と説明していた。この点について、永井和・京都大教授(日本近現代史)は旧陸軍の資料から、済州島に陸軍の大部隊が集結するのは45年4月以降だと指摘。「記述内容は事実とは考えられない」と話した。


■読者のみなさまへ

 吉田氏が済州島慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。

     ◇

 注? 吉見義明・川田文子編「『従軍慰安婦』をめぐる30のウソと真実」(大月書店、1997年)





改訂版「慰安婦問題」は韓国と朝日の捏造だ100問100答 (WAC BUNKO 168)

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