NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

是故百戦百勝、非善之善者也

「頭に来てもアホとは戦うな! 孫子の兵法とマキャベリ君主論を現代版に翻訳!?」(現代ビジネス)
 → http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39713

アホと戦ってきたアホだから書ける本

最新刊『頭に来てもアホとは戦うな!人間関係を思いどおりにし、最高のパフォーマンスを実現する方法』を7月8日に上梓する。この本にはかなりの自信を持っている。それは私自身が「アホと戦う最低のアホ」だったからである。アホと戦うことの虚しさと無駄を心と身体で実感しているのだ。

恥ずかしながら、まだ一部はアホのままであるかもしれない。そう言ってしまうと本を書く資格が問われるが、なかなか人間の性質は変わらないもので、課題を自覚して苦しみながら改善している最中だからこそ、より多くの人に学びを共有できるのだと思う。

大げさに言えば、私の人生における二大バイブルである『孫子』と『君主論』を現代の日本社会に合わせて焼き直したものだという自負もある。孫子のエッセンスである「非戦論」と、君主論のシニカルなまでの「人間観察術と権力闘争処世術」をいいとこどりしたような内容と言いたいところだが、言い過ぎだろうか。

この本は「頭に来てもアホとは戦うな」という私のツイートから始まった。まさにこの本のタイトルである。このツイートを見て「本にしませんか」と声をかけてくれたのが、この本の編集者・大坂温子さんである。

当時の私は、シンガポールへの引越しの準備と外国企業の戦略顧問の仕事とで手いっぱいで、本を書く余裕も意欲もなかった。これまで何冊か本を書いてきたが、私のような素人にとって一冊の本を書くということは、"命を削る"と言えば大げさだが、それくらいとてつもなく辛い作業なのだ。にもかかわらず、なぜ書いてしまったのか? それは、編集者の"日本へ一石を投じてみたい"という熱意にあった。


「倍返し」は最高のアホ!

このツイートをしたのは2013年10月9日。その約2週間前の9月22日に「倍返し」で一世を風靡した連続ドラマ「半沢直樹」が最終回を迎え、平成の民放ドラマの歴代最高視聴率を叩き出していた。私はこのドラマを見たときに「これはいかん」と思っていたため、最終回を迎えてホッとしていたのだが、その余韻は「倍返しブーム」を増幅させるばかりであった。そこで、思わず世の中に向かってあのツイートを投げかけてみたのだ。

「何がいかんのか?」と問われれば、「アホと戦うことがいかんのだ!」と答えるしかない。倍返しをする、いや、しなくても、イライラしているのはナイーブな(英語本来の「子供っぽい」という悪い意味で)日本人くらいだ。世界でもリベンジがないわけではないが、大半はもっと大人である。

世界の多くの人たちは、世の中はそもそも不条理であり、力を持つ者の大半は卑怯なアホであり、それが許せなくても、そんな奴と戦う"バカな"ことはしないのだ。卑怯なアホと戦っても、勝てる確率が低く、負けたら憎まれて、それこそ”倍返し”をくらうのだ。議論や口げんかで勝ったと思っても、やがて権力だけはあるアホの逆襲によりボコボコにされてしまうだろう。「倍返し」というのは、日本を含めて世界中で成功しないからこそ、ドラマのネタになるのだ。

実行しないまでも、倍返しの妄想を抱き、悶々とし、心を患い、後にそれが本当の病気になってしまう人もいるかもしれない。しかし、そんな無駄なことにエネルギーと時間を使っていては、一度きりしかない大事な人生を謳歌することはできない。残念ながら、時間もエネルギーも有限であり、古代ローマの哲学者であり政治家でもあるセネカが言うように「長い人生もアホな時間の使い方をしているとあっという間に終わる」のだ。


アホは戦うのではなく利用する相手

人生は不条理なものである。アホが権力の座に君臨するのもよくあることで、勝てないけんかはそもそもするものではない。そうではなく、アホを自分のために利用すればいいのだ。

ハイパーコネクテッドな現代社会では、何事もやってみるものである。私が約6万人のフォロワーに対して「アホと戦うな」と言っても蟷螂の斧みたいなものだろうと思っていたが、その一言がひとりの編集者の琴線に触れた。そして、彼女の情熱は尋常ではなく、「私こそがアホと戦わないスキルを学びたいのです」と一歩も引かなかった。

語弊があるかもしれないが、私にはまるで彼女がアホに囲まれて苦しんでいるように見えてしまった。でもそれは、「私の周りにもアホと戦ってしまい、疲弊している友人がたくさんいるんです」ということだった。

この本は、アホと戦うアホだった自分の経験を伝えるだけにとどまらない。人生の達人たちから学んだ「非戦能力」と「人間観察力」と「処世術」も伝えている。私は、ありがたいことに、人生の達人たちと出会う機会が多い。たいした才能があるわけでもない私だが、人生の出会いを活かす才能はあるかもしれない。人生の達人に出会ったその瞬間の学びは少ないが、時を経て、失敗を重ねながら、自分と達人との違いに気づき、そこから多くのことを学ぶのだ。

特に、田舎者である私が大いに悩み苦しんだ永田町での日々は何にも代えがたい経験だった。政治家が苦しむのは、政策でも議論でもない。オブラードに包まれることも、正面から激突することもある、権力闘争の真っただ中に身を置いて、物事を自分なりに決断することだ。"清濁併せ飲む"とはよく言ったものだが、「濁」を飲むのは、私のような度量の小さい人間には非常に辛いことであった。

しかし今となっては、政治家に限らず、人生を謳歌するためには、時として「濁」を飲むことも必要だということがわかる。「清」ばかりを追求して、一度しかない人生の幅を狭めてしまい、本当の楽しみを追求しないことは大きな損失だと思う。清も濁も、宝物のような人生を前にしたら、単なるスパイスのような存在にすぎないのだ。


無駄に戦うことなく人生を大事にせよ

非戦の書であり、シニカルな処世術の書でもあるこの本でいちばん訴えたかったのは、「自分の人生を何より大事にしよう」ということだ。たった一度のかけがえのない人生を謳歌するためには、アホをアホだと思ったり、アホと戦うために時間やエネルギーを費やしたりしていてはもったいない。頭に来てもアホとは戦うな!

アホと戦うのをやめたら、人生が楽になり、その余力で本来の人生の目的を楽しむことができる! さらに一歩進んで、アホの力を利用して、自分の人生を謳歌することができれば、何倍も楽しくなる!


孫子に曰く、戦わずして勝つ。

百戦百勝は善の善なる者にあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。

新訂 孫子 (岩波文庫)

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最高の戦略教科書 孫子

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君主論 (岩波文庫)

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マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)

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