NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

「パリサイ人」たち

「【阿比留瑠比の極言御免】護憲唱える『パリサイ人』たち 米大統領にまでご注進とは」(産経新聞
 → http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140509/plc14050911140007-n1.htm

 一口で「護憲派」といっても、当然のことながらいろいろな人がいる。その中でも現行憲法を絶対視・神聖視し、さらに内閣法制局の官僚がその時々の社会・政治情勢に応じてひねり出したにすぎない憲法解釈を聖典のようにあがめ奉る学者やメディア、政治家を見ると、イエス・キリストの次の言葉を思い出す。

 「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは、わざわいである」

 ユダヤ教の律法を厳格に解釈し、やがては律法そのものより自分たちの解釈を重んじる本末転倒を演じたパリサイ人を強く批判している。彼らが自分勝手な律法解釈と神学大系を築き上げ、権力と権威でそれを民衆に強いる危険性をイエスは説いたのである。

 米大統領にご注進

 4月のオバマ米大統領の来日前には、民主党蓮舫元行政刷新担当相や小西洋之参院議員ら有志15人が、在日米大使館に対し、安倍政権が目指す集団的自衛権の行使容認を支持しないよう求める文書を提出した。

 文書は、集団的自衛権をめぐる憲法解釈変更は「日本が立憲主義や法の支配を失う国となりかねない」と主張し、来週中に報告書を出す政府の「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)についてこう批判する。

 「通説的な憲法学者が一人も参加していない」

 この行為にも、イエスのことを人心を惑わすとして当時の支配国だったローマ政府に訴えたパリサイ人を連想した。民主党長島昭久元防衛副大臣ツイッターで「属国でもあるまいし、嘆かわしい」とつぶやいたのももっともだろう。

 結局、オバマ氏は集団的自衛権見直しの取り組みに「歓迎と支持」を表明したのだから、彼らは二重に恥をかいたことになる。

 彼らは安倍晋三首相が「(憲法解釈に関する)政府答弁については、(内閣法制局長官ではなく)私が責任を持つ」と述べたことについて、「憲法は権力を縛るもの」という立憲主義の否定だと批判する。

 民主政権の時は…

 内閣の一部局にすぎない内閣法制局を首相の上に置くような議論も倒錯しているが、そもそも彼ら自身が権力の座(与党)にいるときはどうだったか。

 民主党政権は「政治主導」の名の下に内閣法制局長官の国会答弁自体を認めず代わりに法令解釈担当相を設けた。自分たちが政権を運営しているときには一閣僚に憲法解釈の権限を委ねておきながら、野党になると首相にすらそれは認めず「憲法破壊だ」などと言い募っている。また現在、盛んに安倍政権を批判する憲法学者らが民主党政権時代にも同様に、あるいは今以上に警鐘を鳴らしていたとは寡聞にして知らない。結局、自分たちの意向やイデオロギーに沿うかどうかで対応は変わるのだろう。

 「みずからの正義について多弁を弄する一切の者たちを信用するな!(中略)彼らが自分自身を『善にして義なる者たち』と称するとき、忘れるな、パリサイの徒たるべく、彼らに欠けているのは-ただ権力だけであることを!」

 哲学者、ニーチェはこう喝破している。権力を持ったときは好き勝手に振る舞い、権力を失うと正義の仮面をつけて反権力を気取るのだ。パリサイ人には現在、「偽善者」「形式主義者」という意味もある。この種の人には気をつけたい。(政治部編集委員)

百田尚樹氏も吠えた! 憲法改正をめぐる朝日・毎日の『姑息』記事の背景は」(産経新聞
 → http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140517/plc14051707000003-n1.htm


安直な“正義”を嫌い、徹底して“偽善”と戦い続けたのが稀代の名コラムニスト山本夏彦である。
何用あって月世界へ』より抜粋。

  • テレビは巨大なジャーナリズムで、それには当然モラルがある。私はそれを「茶の間の正義」と呼んでいる。眉ツバものの、うさん臭い正義のことである。
  • 俗に金のためなら何でもする、犬のまねしてワンと吠えよ命じられればワンと吠えると言うが、これはそれほど人は金を欲しがるというたとえ話で、いかにも人は金を欲するがそれ以上に正義を欲する。
  • 理解をさまたげるものの一つに、正義がある。良いことをしている自覚のある人は、他人もすこしは手伝ってくれてもいいと思いがちである。だから、手伝えないと言われるとむっとする。むっとしたら、もうあとの言葉は耳にはいらない。
  • 汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす。
  • 正義はソンでもソンのほうをとってはじめて正義であることがある。
  • 衣食足りると偽善を欲する。
  • 私は、正直者は馬鹿をみるという言葉がきらいである。ほんとんど憎んでいる。まるで自分は正直そのものだと言わぬばかりである。この言葉には、自分は被害者で潔白だという響きがある。悪は自己の外部にあって、内部にはないという自信がある。
  • 善良というものは、たまらぬものだ。危険なものだ。殺せといえば、殺すものだ。
  • 主婦のなかの最も若く最も未熟なものを、警察官にするとどうなるか。正義の権化になる。権化になって何が悪いのかというだろうが悪いのである。

 私は衣食に窮したら、何を売っても許されると思うものである。女なら淫売しても許される。ただ、正義と良心だけは売物にしてはいけないと思うのである。

── 山本夏彦(『何用あって月世界へ』)