NAKAMOTO PERSONAL

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道徳教育の秘訣

「【正論】『道徳』成功の鍵は教科書にある 東京大学名誉教授・小堀桂一郎」(産経新聞
 → http://sankei.jp.msn.com/life/news/140530/edc14053003270001-n1.htm

 人格教育の重要性を訴へる超党派の「人格教育向上議員連盟」が近日中に発足する由である。本紙の記事の見出しでは「道徳議連」との呼び方を用ゐてゐたが、連盟結成の動機は、道徳教育の教科化を促進することにある由であるから、この仮称も適切であらう。

 議連の掲げる目標には基本的に大賛成であり、その素志と努力とを心から支持するものであるが、目的実現の手段については筆者は少しく意見を異にしてゐる。議連の意欲に水を差す様なつもりは毛頭無いが、この様な異見も或(ある)いは参考にして頂けるかと考へて敢へてここに記しておくこととする。


≪面白い話として記憶に≫

 道徳教育の教科化といふ懸案について筆者は元来、そして現在も消極的である。それは此を独立の教科とする場合、教育の現場では成績の公正な評価といふ甚だ重要な条件をどの様にして充足させたらよいか、教員各個の道徳観の差異も含めて種々の難問が生ずるであらう。又(また)教員養成の面から見ても、取得すべき教職科目の単位が増えるわけであるから、そこにも亦(また)、高等教育課程の中での道徳学の扱ひ方の難しさが浮上する。

 それは決して解決不能といふ程の難題ではないが、その十分な解決を見るに至るまでの現場での試行錯誤や教育界上層部での紛糾の被害を蒙るのは生徒の側である。

 教科化を不要と言ふ時の筆者の代案であるが、年来の主張の一端として平成18年10月31日の本欄に〈「教育再生」は国語力養成から〉と題して述べたところもその一つである。道徳教育は特に一科を設けなくとも国語科教科書の内容を端正な文章を以て充実させてゆけば宜しく、そのための教材は東西の古典文学の中に無限に用意されてある、との主張である。

 筆者は戦前の義務教育課程の6年間を全部戦前版の教科書によつての教育を受けた世代であるが、幼時の記憶の中で国語で習つた話と、修身の授業で聴いたり読まされたりした話が全く融合してゐて、思ひ返してみても殆ど区別がつかない。

 修身の教科書で習つた話とても、それを道徳的な教訓として受け取つたのではなく、ただ面白い珍しい話として記憶に残つたのは、国語の教科書から受けたものと全く同じ性格のものだつた。


≪押しつけでない豊富な教材≫

 言ひ換へれば戦前の国語教育は先づは文字教育、文法教育の性格が第一義だつたのではあらうが、それは教室といふ現場での教員の裁量に任されてゐたのであらう。教科書の内容から言へば、国語と修身との間には差が無かつた。

 例へば本居宣長が念願かなつて旅中の賀茂真淵に面会し、古典研究への激励を受けた逸話「松阪の一夜」は、洵(まこと)に好い話で、それは子供に学問の道の貴さと厳しさ、加へて師弟の礼といつた徳を説いてきかせる話であるから、即ち修身の教科書で読んだものと思ひ込み、中年期にも人に向つての感銘の記憶を語つたりしたものであつた。だが、戦前の教科書の復刻版といつた刊行物が広く普及する様になつてから調べてみると、この話は国語教科書の小学校6年生用の巻に載せてあるものだつた。

 これはほんの一例であるが、一般的に考へても、戦前の義務教育用読本は、元田永孚(もとだながざね)が明治天皇のお求めに応じて献呈した『幼學綱要』などに材を採ることが多かつたであらう。これは国語国文の教育にも、修身と呼ばれた道徳教育にも全く同じ様に通用する教材を豊富に含んだ史伝集成である。

 いま復刻版の「尋常小學修身書」(大正期版)に当つて些(いささ)か検証してみると、上級用としての4年生以後は先づ巻頭に教育勅語を掲げる。目次を見るとまさしくその教育勅語の掲げる12の徳目、或いは『幼學綱要』の総目にある20の徳目をそのまま標題とした様な話が列挙されてあることがすぐにわかる。


≪人物の発掘と「語り口」≫

 ここで指摘しておきたいのは、それらの各章は決して標題の徳目を解説し、その実践を勧奨する教訓として編まれてゐるわけではない、といふことである。

 それなら何を説いてゐるのか。簡単に言へば、それは古今東西の広い領域に亙(わた)る人物逸話集である。それも決して英雄聖人孝子節婦の類を選んで載せたといつた形跡はなく、むしろ草莽の志士仁人の発掘に特に意を用ゐたところがあるのではないかと思はれる。

 例へば6年生用の読本を瞥見(べつけん)してみるに、「工夫」といふ章が説いてゐるのは別段創意工夫の効用ではなく、久留米絣(がすり)の発明者井上でん女の簡単な伝記である。教育勅語にもある「公益」の徳目で語られてゐるのは米国人B・フランクリンの図書館や新聞経営や消防事業の苦心談である。

 将軍乃木希典はここでは旅順攻城の勇将としてではなく、陣中の日常生活で公私混同を自らに厳に戒めた「清廉」さが、この題名を文中には出すことなしに淡々と語られてゐる、といつた工合(ぐあい)である。御参考になるかどうか。道徳教育の秘訣の一つは誰にも抵抗なく受容できる語り口なのである。

 道徳教育の一つの道は、私たちが「美しい」と感ずるような話を子供たちに伝えることではないかと思います。健全な少年少女にとって、美しい、ためになる話は、同時に面白いのです。教室で偉人の話をすれば、子供たちの目は必ず輝くはずです。私たちは世界中の美しい話、いい話、そして特に日本人の行った素晴らしい話を子供たちに伝えるべきでしょう。
 そこから子供たちが、国を愛する、家を愛する、子孫を愛する、親を尊敬するといった基本的なことを身につけ、志を立てて、それぞれの道で志を遂げること、自分にあった成功の道があることを学んでほしいと思うのです。

── 渡部昇一『13歳からの道徳教科書』