一日一言「我も罪人」
四月二十八日 我も罪人
新聞にも書かれず、警察署にも呼び出されたことがないから、自分は悪い人間ではないと思うのは、自分をあまりにも誇大評価するものである。悪い評判が立ち、罪の疑いをかけられても善人はいる。人にほめられる悪人もこの世には少なくない。
盗みせず人殺さぬを能にして
我れ罪なしといふぞかなしき
“愚禿”親鸞も言う。
善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや
「善人が救われるのに、悪人が救われない筈がない」
いわゆる“悪人正機”説である。
「自分を善人だと思い込んでいるような人でさえ救われるのだから、“自分にも悪い所がある”と自覚しているような人間が救われない筈がない」と。
ニーチェにも似た親鸞(弟子の唯円)一流の逆説的な言い回しが、たまらない。
安吾に至っては、逆説の逆説で。。。
これがまら、たまらないのである。
私は悪人です、と言うのは私は善人ですというよりもずるい。
── 坂口安吾(『私は海を抱きしめていたい』)