NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

桜文学

南の方からは桜の便りがちらほら。
「桜、東京都心で開花、高知では全国最速で満開」(産経新聞
 → http://sankei.jp.msn.com/life/news/140325/trd14032516050013-n1.htm

 桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足)という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。

── 坂口安吾(『桜の森の満開の下』)


坂口安吾森見登美彦…、桜の季節に愉しみたい美しき桜文学」(ダ・ヴィンチニュース)
 → http://ddnavi.com/news/188042/

桜の樹の下には屍体が埋まっている」――そんなフレーズを一度は耳にしたことがあるだろう。だがそれが、どこから生まれたものかはご存じだろうか? 出典は梶井基次郎の「桜の樹の下には」(『檸檬』所収)。美しさ、生、死、そして再びの美しさ。桜の妖しげな一面を巧みな言葉選びで捉えていた文学作品だ。

 日本人にとって桜はトクベツで格別なもの。文学のなかであらわされる桜は、なんとも優雅であり、風雅であり、典雅であり、ときに潔い。しかし妖艶で、ひとの心を惑わし、かどわかしもする。それは美しい桜のせいなのか、それともひとの心が桜に乗り移るからなのか……。誰もが知っている文豪たちも、こぞって桜をモチーフに文学を描いているのはなぜなのか。『ダ・ヴィンチ』4月号ではそんな、美しくも恐ろしい“桜文学”を紹介している。


■「桜の森の満開の下」(『桜の森の満開の下・白痴 他十二篇』所収) 坂口安吾 岩波文庫 860円(税別)
桜の森がある山に、あるとき山賊が住みはじめた。街道へでて情容赦なく着物をはぎ人の命も絶つ山賊だが、桜の森の花の下にくると気が変になる。ある日、美しい女をさらい山で暮らし始めるが、その女はわがままで残酷で……。桜の花に惑わされた、もろく一途な、面妖な恋物語


■「桜の森の満開の下」(『新釈 走れメロス 他四篇』所収) 森見登美彦 祥伝社文庫 562円(税別)
舞台は京都・哲学の道の桜並木。さえない男は、そこに咲く桜の、ひしめく花弁の異様な華麗さに恐怖を覚えるが、ある朝桜の下で、人形のように美しい女と出会う。女との出会いによって、男の運命がうそのように動き出すが……。坂口安吾の『桜の森の満開の下』を現代に置き換えた作品。


■「花の下にて春死なむ」(『花の下にて春死なむ』所収) 北森 鴻 講談社文庫 533円(税別)
七緒の俳句仲間・片岡が死んだ。遺体は荼毘(だび)に付されたが身元を示すものが見つからない。七緒は片岡が死ぬ直前まで書き残した句帳を頼りに、彼の故郷を探し出すことにした。そこに片岡を還すために。なぜ片岡は過去を捨てたのか。ビアバー「香菜里屋(かなりや)」シリーズの連作短編集のひとつ。


■「桜桃」(『桜桃』所収) 太宰 治 ハルキ文庫 267円(税別)
3人の子をもつ私は、家庭においても社会においても虚勢を張り、無理をする。私は夫婦げんかをし家を出て酒を飲む場所で、桜桃を極めてまずそうに食べては種を吐き、食べては種を吐き「子供より親が大事、と思いたい」そう、うそぶく。裏腹で、奥深く、薄氷のように壊れやすい短編。


 同誌では「桜の樹の下には」をはじめとする、切なさや儚さをふくんだ美しい桜をモチーフにした小説など18作品を紹介。春を愉しむのにうってつけの特集となっている。

『【北海道神宮百話】開花はしばらく先だけど…必見の価値あり「桜の名所」』(産経新聞) http://sankei.jp.msn.com/life/news/140319/trd14031916240011-n1.htm

「背負っておくれ。こんな道のない山坂は私は歩くことができないよ」
「ああ、いいとも」
 男は軽々と女を背負いました。
 男は始めて女を得た日のことを思いだしました。その日も彼は女を背負って峠のあちら側の山径(やまみち)を登ったのでした。その日も幸せで一ぱいでしたが、今日の幸せはさらに豊かなものでした。
「はじめてお前に会った日もオンブして貰ったわね」
 と、女も思いだして、言いました。
「俺もそれを思いだしていたのだぜ」
 男は嬉しそうに笑いました。
「ほら、見えるだろう。あれがみんな俺の山だ。谷も木も鳥も雲まで俺の山さ。山はいいなあ。走ってみたくなるじゃないか。都ではそんなことはなかったからな」
「始めての日はオンブしてお前を走らせたものだったわね」
「ほんとだ。ずいぶん疲れて、目がまわったものさ」
 男は桜の森の花ざかりを忘れてはいませんでした。然し、この幸福な日に、あの森の花ざかりの下が何ほどのものでしょうか。彼は怖れていませんでした。
 そして桜の森が彼の眼前に現れてきました。まさしく一面の満開でした。風に吹かれた花びらがパラパラと落ちています。土肌の上は一面に花びらがしかれていました。この花びらはどこから落ちてきたのだろう? なぜなら、花びらの一ひらが落ちたとも思われぬ満開の花のふさが見はるかす頭上にひろがっているからでした。
 男は満開の花の下へ歩きこみました。あたりはひっそりと、だんだん冷めたくなるようでした。彼はふと女の手が冷めたくなっているのに気がつきました。俄(にわか)に不安になりました。とっさに彼は分りました。女が鬼であることを。突然どッという冷めたい風が花の下の四方の涯から吹きよせていました。

── 坂口安吾(『桜の森の満開の下』)