NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

空にある星を一つ欲しいと思ひませんか?

 空にある星を一つ欲しいと思ひませんか? 思はない? そんなら、君と話をしない。
 屋根の上で、竹竿を振り廻す男がゐる。みんなゲラゲラ笑つてそれを眺めてゐる。子供達まで、あいつは気違ひだね、などと言ふ。僕も思ふ。これは笑はない奴の方が、よつぽどどうかしてゐる、と。そして我々は、痛快に彼と竹竿を、笑殺しやうではないか!
 しかし君の心は言ひはしないか? 竹竿を振り廻しても所詮はとどかないのだから、だから僕は振り廻す愚をしないのだ、と。もしさうとすれば、それはあきらめてゐるだけの話だ。君は決して星が欲しくないわけではない。しかし僕は、さういふ反省を君に要求しやうと思はない。又、「大人」になつて、人に笑はれずに人を笑ふことが、君をそんなに偉くするだらうか? なぞとききはしない。その質問は君を不愉快にし、又もし君が、考へ深い感傷家なら、自分の身の上を思ひやつて悲しみを深めるに違ひないから。
 僕は礼儀を守らう! 僕等の聖典に曰く、およそイエス・ノオをたづぬべからず、そは本能の犯す最大の悪徳なればなり、と。又曰く、およそイエス・ノオをたづぬべからず。犬は吠ゆ、これ悲しむべし、人は吠えず、吠ゆべきか、吠へざるべきかに迷ひ、迷ひて吠へず、故に甚しく人なり、と。
 竹竿を振り廻す男よ、君はただ常に笑はれてゐ給へ。決して見物に向つて、「君達の心にきいてみろ!」と叫んではならない。「笑ひ」のねうちを安く見積り給ふな。笑ひ声は、音響としては騒々しいものであるけれど、人生の流れの上では、ただ静粛な跫音あしおとである時がある。竹竿を振り廻す男よ、君の噴飯すべき行動の中に、泊や感慨の裏打ちを暗示してはならない。そして、それをしないために、君の芸術は、一段と高尚な、そして静かなものになる。

── 坂口安吾『ピエロ伝道者』