NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

「朝鮮人を信じた伊藤」

今日の産経抄より。

「【産経抄】朝鮮人を信じた伊藤への銃弾 1月22日」(産経新聞
 → http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140122/plc14012203160002-n1.htm

 明治39年、農政学者の新渡戸稲造が韓国に伊藤博文を訪ねたことがある。伊藤は日本が保護国とした韓国の政務をみる統監の地位にあった。新渡戸は伊藤に、日本から韓国への移民促進を訴えにきたのだが、伊藤は「我輩は反対しておる」だった。

 「しかし朝鮮人だけでこの国を開くことができましょうか」と反論する新渡戸にこう答えた。「君朝鮮人はえらいよ…この民族にしてこれしきの国を自ら経営出来ない理由はない」。伊藤によれば、韓国の現状は人民が悪いのじゃなく、政治が悪いからである。

 瀧井一博氏の『伊藤博文』が紹介するエピソードである。だから伊藤が初代韓国統監を引き受けたのは、韓国の政治改革を推進し、韓国人の潜在的自治能力を開発するためだった。文官である自らが統監となることで、日本軍による介入を抑える狙いもあったという。

 最終的には「日本の安全保障のため」という小村寿太郎外相らに押し切られるが、日本への併合にも終始慎重だった。満州中国東北部)への日本の進出にも反対で、俗な言葉では「ハト派」の長老だった。韓国や中国(清)にとって良き理解者と言ってよかった。

 その伊藤が統監辞任後の明治42年、満州ハルビンで韓国人の安重根により暗殺された。当然日本の世論は激高する。閣議決定済みだったとはいえ、併合に拍車がかかったことは言うまでもない。伊藤が避けようとしていた「武断統治」を招くことにもなった。

 そんなテロリストの記念館がハルビンに建設された。中韓反日連合の象徴のつもりらしいが、これこそ歴史を直視できない愚挙である。もっとも韓国併合を「悪」一点張りで描き、伊藤をその首謀者のようにしてきた日本の自虐史観の罪も大きい。


国益のために植民地政策を推す新渡戸に対し、伊藤博文は反論します。(これの逸話を残し記した新渡戸も偉い!)

 「君朝鮮人はえらいよ、この国の歴史を見ても、その進歩したことは日本より遥以上であつた時代もある。この民族にしてこれしきの国を自ら経営出来ない理由はない。才能においては決してお互に劣ることはないのだ。然るに今日の有様になつたのは、人民が悪いのぢやなくて、政治が悪かつたのだ。国さへ治まれば、人民は量に於ても質に於ても不足はない」

── 新渡戸稲造『偉人群像』


一方、朝日新聞の社説は韓国側に立つ、相も変わらず第五列。
http://www.asahi.com/articles/ASG1P36TZG1PUSPT003.html

 政府間のさや当てをよそに、韓国民の間では日本との距離を縮めようとの声も出ている。

 韓国の世論調査によると、安倍首相の靖国参拝後でも、半数近くが日韓首脳会談の実現を支持している。

 ソウルでは、長崎・対馬で盗まれた仏像を日本へ返すよう政府に求める訴訟が韓国の市民団体によって起こされた。

 市民レベルや経済界では無為な対立を続けるよりも、新たな互恵の関係をめざす動きが芽生えているのに、政治のリーダーたちはなぜ、負の連鎖を断ち切れないのか。

 自国の歴史観を押し通すことで国内の狭い支持層を喜ばすことはできても、複眼的な視座が求められる外交の地平は開けない。日中韓の指導者は、アジアの未来を描く大局観こそを語り合ってほしい。


佐幕派のぼくは、長州出身の伊藤には色々と言いたいこともあるが...。
こんなにも朝鮮を思い案じていた伊藤博文が、今や、まるで悪の権化のように解釈されている現状がなんとも虚しくやりきれない。