“本当の事”
久しぶりにテレビで曽野綾子さんを見た。
「『成熟とは何か』裏・金スマブログ」(TBS) http://tbs-blog.com/urakinsma/25713/
歯に衣着せぬ言動は未だ健在。
建前やきれい事ではなく、“本当の事”を語っているだけなのだけれど。
例えば、6日の産経新聞『透明な歳月の光「変わる高齢者像」』より、抜粋。
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今の高齢者は働かなさ過ぎる。引退後は悠々自適という名の下に、趣味や旅行に専念しても許される、というような感覚を持ち始めているようだし、働こうにも仕事がなかったり、高齢になれば病気がちになるのも当然だ。
しかし私が言うのは、どうやら年相応に健康なのに、労働をしないことが老年の特権だと思うことは、今後4人に1人が高齢になる時代に通用しなくなるだろう、ということだ。人間は生きている限り、毎日働くのが義務なのだ。
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クリスチャンである曽野さんは目の見えない身体の不自由な方々を聖地巡礼の旅に連れて行く。
以下、NHK「曽野綾子が語る 『聖地巡礼』」より。抜粋。
再放送されないかな。
- どれほど苦しむことが出来るか、それが人間の品位を決定する。(ニーチェの引用)
- 愛は互いに見つめ合うことではなく、一緒に同じ方向を見つめること。(サン・テグジュペリの引用)
- 旅には、美味しいものを食べた喜びと、美味しいものを食べられなかった恨みと両方あって良いのです。
- 人生、マイナス込み。です。
- 奇跡は怪我や病気が急に治ることなんかじゃなく、苦しみによって自己を発見する、それこそ奇跡です。
- 苦しみや不運は避けるものではなく、それらには意味がある。解決し、プラスの意味合いに使うのです。
- 苦しみを知ると、やわらかい端正な人間になる。
- 「歯を磨かず顔も洗わず着替えもせず、寝るんです。」私はそういう体験をさせたかった。(砂漠のテントで、身体の不自由な人たちに「着替えはどうするんですか」と聞かれて)
- 今の日本はおせっかい。
- 手抜きは大事です。出来るだけ手抜きして楽して、続くようにするんです。いい加減の方が続くのです。
- 手と口があれば自分で食べられる。
- 言葉遣いが差別に当るとひりひりするのは尽くしていない人です。本当に尽くしてる人はそんなことは気にしません。
- 人生は計画通りにはなりません。
- ダシに使われる事は光栄です。色んな使われ方があって良い。
- 愛には二つあって、フィリア(好き)とアガペー(理性と意思の愛)と。理性の愛こそが本当の愛なのです。
- 本当の愛とはどんなに憎んでいてもその人にこうすべきであるということをする。理性の愛です。
- 好きである愛、なんてのは一旦何かつまづくと物別れに終わる。嫌いになったらそれまで。
- 安心して暮らせる世の中なんてありません。
- 幾分かは、自分で納得した危険を冒さないことには本当の人生はわかりません。その危険というのは自分で負担しなければならない。そして、それを納得したのならば誰かのせいだと言わない、大人の決意がいる。そのとき初めて私たちは生き生きとした人生を送ることが出来るのです。
- 死んでも良い、という選択も尊重しなければならない。
- 病人も高齢者の方々も、皆が今日一日が“生きるに値するもの”でなければならない。“ただ呼吸しているだけ”ではいけない。そのためにはいささかの危険も冒険もいるのです。
- 冒険は若者だけのものではない、すべて生きる人間のためにあるのです。
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アフリカの飢餓の問題は、私たちの心を試すのに、いい題材である。
人のお手助けをしようと思うことは、署名運動ではない。署名だけして、いい人になったと思うことくらい、私は嫌なことはない。それでもしないよりはいいでしょう、という人がいるが、私はしないより悪いと思っている。なぜなら、しなかった人は自分が人道的ではない人間なのだろうという、引け目を感じているが、署名した人は、自分が充分にヒューマスティックだと思い込むからである。人間は自分が善人だと思った時、始末が悪くなる。
人を助けるなどということは、本来不可能なことなのだが、それでも一人の目の前にいる人がほんの少しでも、幸せになることができれば、という程度のことであるのである。そのためには、最低限、心か、労力か、お金か、いずれかを出さねばならない。そのうち、一番楽なのは、自分で出せる範囲のお金なのである。
── 曽野綾子(『自分をまげない勇気と信念のことば』)