NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

『数学を使わない数学の講義』

仕事帰りに本屋


小室直樹著『数学を使わない数学の講義』を購入。


数学、経済学、社会学、法律学、心理学、宗教学、政治学・・・、あらゆる学問を修め、それらを縦横無尽に駆使する碩学の社会科学者、小室直樹博士が一般向けに著した初期の名著『超常識の方法』の改題復刻版。
今まで『数学嫌いな人のための数学─数学原論』の改題版かと思い込んで見過ごしていた。(>_<)
数学を使わない数学の講義 数学嫌いな人のための数学―数学原論
危うくまた絶版になる所だった。

 我が国では、第二次大戦前、科学の振興のために特に数学が重視されるようになり、理科、特に「数学が教育の中枢」となった。
 この傾向は戦後も残り、この事が配線の痛手を乗り越えて、高度成長を可能とし、死灰(しかい)の中から見事に復興をとげ、日本は経済大国となった。
 しかし、戦後の「お受験勉強」依る「面白くない数学」が長く続き、こんどは一転して逆に「ゆとり教育」の指向に因って歪曲され、終(つい)に日本の青少年の数学力が、みるみる低下して行く事に拍車をかける事となった。
 日本人が数学力を失ったらどうなるか?
 経済成長は止まり、国防すら危うくなる事は間違いない。
 大概の人は、「数学には馴染みが薄い」。「なんとかやろうとしたが、出来なかった」と言う人が多く、「数学と何か」と言う本質(論理)を知らない人が急増している。
 やがては表面化する。戦後教育の弊害を見越して、約四半世紀前に「数学」を使わないで、数学の講義をしてみたのが、この本である。
 「数学を使わない」とは、計算だとか、補助線を引くなどの「技巧」のことである。
 技巧を駆使しなくても、数学の本質(論理)を理解することによって「数学的発想」を持つ事が出来る。何よりも、この事が大切なのだ。

── 小室直樹(『数学を使わない数学の講義』)

小室直樹文献目録』 http://www.interq.or.jp/sun/atsun/komuro/


 自然科学の世界のことはよく知らないが、現在の日本の社会・人文系の学者の中で天才的な人を挙げるとすれば、小室直樹氏が第一に思い浮かぶ。彼の履歴が独特である。まず数学者として出発した。多くの社会・人文系の学者が数学嫌いであるのと反対である。その数学を生かしうる近代経済学に入り、そこから社会学・法学の方面に進んできた。背景や人柄はまるで違うが私はハイエク先生の生まれた道を思い合わせる。ハイエク先生も初めは数学を使う経済学者だったが、次第に社会学や法学に関心を向けられ、晩年は法哲学者、あるいは哲学者の風貌があり、また仕事もその分野のものだった。小室氏もその方向に進まれるような予感がする。
 一般読者の前に姿を現した最初の時から、小室氏は穎脱(えいだつ)であった。袋に入れた錐(きり)の先は、突き抜けて袋の外に抜け出ずにはおれないように、断然頭角を現さざるをえないような特異な才能の人を穎脱と形容するが、小室氏は正に穎脱の人であり、逆に私はこの漢字を見ると小室氏の顔が浮かんでくる。
 東京裁判史観の戦後の風潮の中で小室氏は『新戦争論』を書き、国際法は戦争から始まること、また戦争は国際法的に合法であることを喝破したが、そのような法学者が戦後の日本にほかにいたであろうか。健康な人だけを研究して医学ができるわけはない。平和の状態の研究だけから国際法ができるわけはない。病人を研究して医学ができ、戦争や紛争を研究して国際法ができる。この世界の常識が戦後の日本の法律学者や政治家に欠けていた。「平和を叫べば平和が来る」というのは「念力主義」にすぎないと喝破したのも小室氏である。
 また戦後の日本の官民が挙げて神聖視していた国連(The Unied Nations)が、戦争中の連合国(United Nations)と同じことを指摘したのも私の知る限り小室氏が最初の人である。そして国連憲章の中には日本に対する「敵国条項」があって、それは潜在的に日本に危険であることを指摘したのも私の知る限り小室氏が初めてである。今日ではこのことをあたかも自分が前から知っていたかのごとく言ったり、書いたりする政治学者や物書きが多いが、私には何だか笑止に思われる。また、ソ連の崩壊を本にして出したのも日本では(外国は広いからどこかにあるかもしれない)小室氏が初めてである。

── 渡部昇一(『自らの国を潰すのか』)

小室直樹の学問と思想

小室直樹の学問と思想

日本人のための経済原論

日本人のための経済原論

日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか

日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか