一日一言
六月二十八日 努力には必ず報いがある
草木が繁るのを見ていると、春の手入れをした様子がわかる。夏のあいだの草取りに骨を折れば、秋の収穫はまちがいないだろう。努力をすれば、そのときにはまだ効果は表れてこないが、後には、必ずその効果が表れるものである。
怠りも夏のかせぎもほどほどに穂にあらはれて見ゆる秋の田
米蒔いて米がはゆれば善に善あくには悪が報ゆとぞ知れ
とは言いつつも、報われない努力も多いのが、世の常である。
それは、なぜか。
露伴に曰く、「それは努力の方向が悪いからであるか、しからざれば間接の努力が欠けて、直接の努力のみが用いらるるためである。」と。
久しぶりに『努力論』でも。
明治の文豪、幸田露伴(幸田文の父であり、青木玉の祖父であり、青木奈緒の曽祖父である.....)の隠れた名著であり、露伴流の幸福論である。
『初刊自序』(抜粋)
努力とは一である。しかしこれを察すれば、おのずからにして二種あるを観る。一は直接の努力で、他の一は間接の努力である。間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。直接の努力は当面の努力で、尽心竭力(けつりょく)の時のそれである。
人はややもすれば努力の無効に終ることを訴へて嗟嘆(さたん)するもある。しかれど努力は功の有と無とによって、これを敢てすべきや否やを判ずべきでは無い。努力ということが人の進んで止むことを知らぬ性の本然であるから努力すべきなのである。そして若干の努力が若干の果を生ずべき理は、おのづからにして存して居るのである。
ただ時あって努力の生ずる果が佳良ならざることもある。それは努力の方向が悪いからであるか、しからざれば間接の努力が欠けて、直接の努力のみが用いらるるためである。無理な願望に努力するのは努力の方向が悪いので、無理ならぬ願望に努力して、そして甲斐(かい)のないのは、間接の努力が欠けて居るからだろう。
瓜の蔓(つる)に茄子(なすび)を求むるが如きは、努力の方向が誤って居るので、詩歌の美妙なものを得んとして徒(いたず)らに篇を連ね句を累(かさ)ぬるが如きは、間接の努力が欠けて居るのである。誤った方向の努力を為すことはむしろ少ないが、間接の努力を欠くことは多い。詩歌の如きは当面の努力のみで佳なるものを得べくはない。不勉強が佳なる詩歌を得る因にはならぬが、ただ当面の努力のみによって佳なる詩歌が得らるるものではない。
努力は好い。しかし努力するということは、人としてはなお不純である。自己に服せざるものが何処かに存するのを感じて居て、そして鉄鞭を以てこれを威圧しながら事に従うて居るの景象がある。
努力して居る 、もしくは努力せんとして居る、ということを忘れて居て、そして我が為せることがおのずからなる努力であって欲しい。そうあったらそれは努力の真諦であり、醍醐味である。
努力して努力する、それは真のよいものではない。努力を忘れて努力する、それが真の好いものである。しかしその境(さかい)に至るには愛か捨(しゃ)かを体得せねばならぬ、然らざれば三阿僧祇劫(さんあそうぎごう)の間なりとも努力せねばならぬ。愛の道、捨の道をこの冊には説いて居らぬ、よってなおかつ努力論と題している。
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