NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

『イリュージョン』

「なあリチャード、俺達は好きなことを何でも自由にやっていいんだ、そうは思わない?」
 夜。干し肉を燠火(おきび)で炙る。満ち足りた時間のドンの最初の発言、また僕をテストしようとしている。
「リチャード、肉はまだだよ、もっと炙ってからの方がうまい、単純な理論だろ? 明解だしさ、好きなことを自由にやっていいってのは、法則だな、大宇宙を動かす法則だな」
「ああ、でも条件があるね」
「条件って?」
「他人を傷つけちゃいけないだろ?」
「他人を? 傷つける? 何だいそりゃ」

「君はドットが歯をあてた時、少し右手が自由になって、スイスナイフを握ってただろ? 刺すつもりだった?」
「当たり前だ」
「ドットは刺されると傷つくよ」
「あいつは俺の血を吸おうとしたんだぞ、俺にチーズケーキをどうぞってとびかかったんじゃないぞ」
「君はちょっと前に言ったのを覚えてるか? 他人を傷つけないかぎり、俺達は何をしてもいいんだって、それは勉強不足というもんだ、それを教えたかったのさ、どんな場合でも俺達は選ぶことができるんだ、他人を傷つけるってことも選択の中に入っている、君がスイスナイフを握ったみたいにね、血をあげるか、無視するか、逃げるか、ナイフでは吸血鬼は死なないから、心臓に柊(ひいらぎ)の杭を打ち込むか、もしドットが柊の杭を打ち込まれるのが嫌なら、彼は彼なりにまた選ぶわけだ、抵抗の方法をね、そうやって、延々と抵抗は続くのさ、わかったかい? リチャード、他人を傷つけないなんて坊さんみたいにみっともない台詞だってことわかった?」
「それにしても吸血鬼は陳腐だったな」
「いいか、このことは重要なんだぞ、俺達は、やりたいことは何でも自由にやれるんだ」 

── リチャード・バック著(村上龍訳)『イリュージョン』


イリュージョン (集英社文庫 ハ 3-1)

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Illusions: The Adventures of a Reluctant Messiah

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