NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

宗教と信仰と

スナフキンに曰く、

「だれかを崇拝しすぎると、ほんとうの自由は、得られないんだよ。」

── (『ムーミン谷の名言集』


「アレフ 札幌の施設周辺に信者次々 昨年入信62人、200人に」(北海道新聞
 → http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/432519.html

 オウム真理教から改称した教団主流派「アレフ」の道内唯一の拠点・札幌施設(札幌市豊平区)が現在地に移転した2010年以降、信者が相次ぎ施設周辺に転居していることが、公安関係者への取材で分かった。昨年は60人余りが入信するなど道内の信者数は数年で倍増しており、公安当局は教団が勢力を拡大しているとみて警戒を強めている。

 公安関係者などによると札幌施設は10年10月、同市豊平区内のマンションから現在の3階建ての店舗跡に移転。直後から信者らが周辺の賃貸アパートなどに住み始め、現在では二十数人にのぼるという。

 相次ぐ信者の転居について公安調査庁は「施設内の祭壇は信者にとって特別な存在で、近くに住むほど修行に有効と考えられている」と指摘。祭壇にはオウム真理教元教祖の松本智津夫死刑囚=教祖名麻原彰晃=の写真が掲げられ、元教祖への帰依は依然として根強いとされる。

 道内の信者数は10年以前は100人前後とされていたが、最近ではJR札幌駅周辺などでヨガ教室を入り口に勧誘するなど信者獲得を強化。新規入信者数は10年には35人、11年は75人、12年も62人に達し、全国的にも突出している。現在の信者数は200人前後とみられ、ほとんどが札幌市と近郊に居住しているという。

なぜが北海道だけが突出して増加している。


いかなる宗教もある種の狂気を含んでいる。それは新興宗教に限ったことではない。
弘法大師・空海はいまだ高野山で座禅を続けている(ことになっている)し、キリストの復活も数々の奇蹟も同じ。


ぼくは宗教も信仰も否定しない。むしろ信仰を抱く精神の純粋さには感銘を覚える。
だからこそそれを利用する教祖が、その取り巻きが、許せない。
もっともそれに気が付かない信者の無知さ加減、勉強不足にも憤りを感じる。


山本七平は「内心の伝道」ということを言っています。

 批判とは外部から行うことであり、伝道とはその中に入って、その中の人のわかる言葉で語ることである。

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 いったい、いまわれわれは、ある集団、たとえば創価学会の中に入っていって、そこの言葉で、その人たちが受け入れられる言葉で福音を語れるであろうか。その人たちへの「内心の伝道」をもっているだろうか。
 もちろん、批判はできる、しかしそれは「内心の伝道」をもっていることではなく、時には逆に、相手と自分の間を遮断してしまうにすぎない。そして、そういう相手にタッチしないことが、何やら自分の中に、清浄な信仰を保っていることの証拠であるかのように錯覚する。
 そのときその人には、その相手への「内心の伝道」はすでにもっていなかったと考えるべきであろう。そしてこの「内心の伝道」を失ったとき、それは個人としても宗教団体としても、その生命を失ったときであろうと私は思う。

── 山本七平『静かなる細き声』

あそこの宗派はここが変だ、あの教祖はこんな悪事を働いている、と他宗派の批判ばかり。
自分たちの仲間内で、仲間内の言葉で、自分たちの教えを反芻し、満足している者ばかり。

これはもちろん宗教だけに限ったことではない。



心の学問、心学の祖である石門心学の石田梅岩は言います。

「仏老荘ノ教モ、イハバ心ヲミガク磨種(トギグサ)ナレバ、舎(スツ)ベキモ非ズ」

心を磨くためになるのであればどんな宗教でも構わない、と。


石田梅岩 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%94%B0%E6%A2%85%E5%B2%A9




 然し、真理といふものは実在しない。即ち真理は、常にたゞ探されるものです。人は永遠に真理を探すが、真理は永遠に実在しない。探されることによつて実在するけれども、実在することによつて実在することのない代物です。真理が地上に実在し、真理が地上に行はれる時には、人間はすでに人間ではないですよ。人間は人間の形をした豚ですよ。真理が人間にエサをやり、人間はそれを食べる単なる豚です。

── 坂口安吾(『余はベンメイす』)