ならぬことはならぬものです。
「『暴力』『いじめ』227件 『家族全員死ね』と生々しい証言も」(産經新聞)
→ http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120707/crm12070721190012-n1.htm
「階段で飛び降り練習強要? 複数の生徒証言」(産經新聞)
→ http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120707/crm12070715140006-n1.htm
227件もの証言があって、誰も止める事が出来なかった。
何とも痛ましい。
過去ログより
藤原正彦さんのことば
→ http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20070514
今のいじめの問題は日本中の子供が卑怯者になってしまったってことです。
いじめる人といじめられる人ってのはこれは確率論的な問題でね、
昔も今もこれからも、永遠にあるんですね。無くなすことは出来ないんです。
しかし、今の子供たちはそれを見て見ぬふりをして通り過ぎているんですね、
ようするに誰も声を上げないんです、昔はいじめはあったけど、子供が自殺するなんてことろまではいかないんです。
必ずあるところで、「もうその辺でいいじゃないか」とか、「それ以上やったら卑怯だよ。」とか、「もう勘弁してやれよ。」とか、
誰かが必ず声を上げたんです。それで収束した訳なんです。
今は陰湿ないじめや卑怯ないじめがいつまででも続く、日本中の子供が卑怯になった。
ここが一番の問題でね、いじめた子とか、いじめらた子の問題ではないんです。
林道義さんのことば
→ http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20070319
新渡戸稲造は「武士道」の徳目の第一に「義」を挙げている。「武士にとりて卑劣なる行為、曲りたる振舞ほど忌むべきものはない」。「義」の反対は卑怯・卑劣である。「義」を重んずるということは、卑怯・卑劣を憎むということである。
新渡戸はまたこうも言っている。「戦闘におけるフェア・プレイ!」の中に「はなはだ豊かなる道徳の萌芽(ほうが)」がある。「これはあらゆる文武の徳の根本ではないか?」と。
また「義と勇は双子の兄弟」であり、義を行うためには勇が必要だと述べている。「義を見てせざるは勇なきなり」「弱きを助け、強きをくじく」と言われるように、いじめを止めたり、大人に通報する行為は、勇気を必要としている。
卑怯ないじめっ子は、大人に知られることがなによりも恐いので、通報することを「ちくる」と名付けて、最も卑怯なこととして憎み、また「お礼参り」の対象としている。「卑怯」の観念が逆転しているのである。この「卑怯の逆転現象」を是正しないかぎり、陰湿ないじめはなくならない。
そんな逆転が起きるのも、常日頃「義」を重んじ「卑怯」を憎む心を育てていないからである。何が「義」であり、何が「卑怯」であるかの区別さえ定かでなくなっているのだ。
ぼくの憧れ、心のふるさと、会津の子供達には掟があった。
「什(じゅう)の掟」である。
「什の掟」
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
二、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
三、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです。
“卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ。”
“弱い者をいじめてはなりませぬ。”
そして
“ならぬことはならぬものです。”と。
7日、今日の日めくりカレンダーより。
「義を見て為さざるは勇無きなり」
人として、当然なさねばならぬ正義と知りながら、他人の前を憚(はばか)り、自分の利害のみはかって、実行しないのは、真の勇気がないからである
『會津藩校日新館』 http://www.nisshinkan.jp/
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