9条
「【産経抄】3月10日」より
→ http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120310/dst12031003160001-n1.htm
この国には、時計が2つある。高層ビルの揺れに驚き、水や電池を大慌てで買いこみ、放射性物質を含んだ雨におびえた去年の今ごろをすっかり忘れ去ったかのような東京と、地震が起きた午後2時46分から時が止まってしまったかのような被災地と。
被災地の時計の針が止まった錯覚にとらわれるのは、がれきがうずたかく積まれたままで、撤去が遅々として進んでいないからだ。岩手、宮城、福島3県で出たがれきは、2253万トンにもなるが、最終処分まで済んだのは6%弱にすぎない。
平成7年の阪神大震災では、兵庫県で1430万トンのがれきが出たが、建物の解体は1年以内に90%以上終わり、3年後には最終処分まで完了した。ごく微量とはいえ放射性物質を含んだがれき処理に住民が尻込みするのもわかるが、遅すぎる。
難航するがれき受け入れを嘆いた橋下徹大阪市長は、「すべては憲法9条が原因だと思っている」とツイッターに書き込んだ。戦争放棄をうたった9条とがれきとどう関係があるのかと改正派の小欄でさえ首をひねったが、理由はこうだ。
「平穏な生活を維持しようと思えば不断の努力が必要で、国民自身が相当な汗をかかないと」ならず、「9条はそれを忘れさせる」と言う。「諸国民の公正と信義」に日本の生存を委ねた前文とともに欺瞞(ぎまん)性を指摘すればわかりやすかったかもしれない。
残念なのは、歯切れのいい彼でも9条改正になると、国民的議論の結果を待つ、としている点だ。何も決められないこの国を変えたいなら9条についても持論を展開し、国民の審判を受けるべきだろう。それなくして大震災が露(あら)わにした戦後民主主義の限界は乗り越えられない。