NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

戦艦大和ノ最期

昭和54年(1979)の今日、戦艦大和の生き証人、吉田満さんが亡くなりました。



『戦艦大和ノ最期』より、臼淵大尉の言葉。


すでに勝ち目のない戦争。

国の為に死ねるのなら本望というA。死ぬことの意義がわからない、無駄死にだとするB。
青年将校たちは、互いの死生観を戦わせ、乱闘寸前のやり場のない議論を繰り返します。

A:「国のため、君のために死ぬ。それでいいじゃないか。それ以上になにが必要なのだ。もって瞑すべきじゃないか」
B: 「君国のために散る。それは分かる。だが一体それは、どういうこととつながっているのだ。俺の死、俺の生命、また日本全体の敗北、それを更に一般的な、普遍的な、何か価値というようなものに結び付けたいのだ。これらいっさいのことは、一体何のためにあるのだ」
A: 「それは理屈だ。無用な、むしろ有害な屁理屈だ。貴様は特攻隊の菊水のマークを胸に付けて、天皇陛下万歳と死ねて、それで嬉しくはないのか」
B: 「それだけじゃ嫌だ。もっと、何かが必要なのだ」
A: 「よし、そういう腐った性根を叩きなおしてやる」


しかし、哨戒長臼淵大尉の一言がこの議論を収束させます。

「 進歩のない者は決して勝たない。負けて目覚めることが最上の道だ。日本は進歩ということを軽んじすぎた。私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。敗れて目覚める。それ以外に、どうして日本は救われるか。今、目覚めずしていつ救われるか。俺たちは、その先導になるのだ。日本の新生に先駆けて散る。まさに本望じゃないか」



安吾に曰く、(『特攻隊に捧ぐ』

 青年諸君よ、この戦争は馬鹿げた茶番にすぎず、そして戦争は永遠に呪うべきものであるが、かつて諸氏の胸に宿った「愛国殉国の情熱」が決して間違ったものではないことに最大の自信を持って欲しい。
 要求せられた「殉国の情熱」を、自発的な、人間自らの生き方の中に見出すことが不可能であろうか。それを思う私が間違っているのであろうか。

室長臼淵大尉、直撃弾ニ斃ル 一片ノ肉、一滴ノ血ヲ残サズ。

── 吉田 満 (『戦艦大和ノ最期』


戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)

戦艦大和ノ最期 (講談社文芸文庫)




『2005年08月16日(Tue) 「15日目」』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20050816 (大和ミュージアム