NAKAMOTO PERSONAL

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畳みかける産経 2

徹底抗戦の産経が面白い。


「【政論】仙谷長官は、自分の姿を鏡に映したことがあるのか」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101017/plc1010172033007-n1.htm

 仙谷由人官房長官は、自分の姿を鏡に映したことがあるのか。15日まで4日間続いた衆参予算委員会で仙谷氏がその場しのぎに繰り返したウソ、強弁、はぐらかし−を拝聴し、「他者の目にどう見えるか、よほど分からない人なのだ」と得心した。その言葉は国民を欺くどころか、自らの過去も裏切っているが、自己矛盾は感じていないようだ。
 論戦で最大の焦点だったのは、沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件への政府対応の是非だった。野党側は、海上保安庁の巡視船が漁船に体当たりされる場面を撮影したビデオテープの公開を強く求めたが、対応を一任される仙谷氏は言を左右にして態度を明確にしなかった。
 「テレビ報道は国民に影響力を持っている。ビデオをどのようにどういう範囲で公開するかは、もう一工夫、一ひねり考えないといけない」
 要は「なるべく公開したくない」ということなのだろうが、これは国民の「知る権利」を踏みにじる発言だ。菅直人首相が8日の代表質問で「最終的に外交の方向性を決めるのは主権者たる国民だ」と答弁したこととも矛盾する。そもそも首相は1日の所信表明演説で「(外交は)国民一人ひとりが自分の問題としてとらえなければいけない」と訴えたではないか。
 もう一つ指摘しよう。仙谷氏は政権交代直後の昨年9月20日の民放番組で何と言ったか、お忘れか。
 「戦後自民党政治は『寄らしむべし、知らしむべからず』でずっと来た。陰でこそこそという部分があるから国民が政府のやっていることを信頼しない」
 中国人船長釈放の判断について、仙谷氏は「政治は関与していない」「判断の主体はあくまで刑事司法の担当者」と繰り返した。
 だが、裁判所と異なり、検察は一行政機関である。
 「政治と行政の関係で政治がとるべき責任をとろうとしない。その辺が現在の政治家不信を生んでいるのではないか」

 こう正論を吐いたのも仙谷氏である。ウソだと思ったら昨年10月9日の報道各社のインタビューを読み返してほしい。
 とにかく仙谷氏の答弁は、真偽・事実関係よりも強弁でその場を乗り切ることを優先させる姿勢が目につく。かつて辣(らつ)腕(わん)弁護士だったそうだが、国会を法廷か何かと勘違いしているのではないか。
 「弱腰外交」と批判されると美人の形容である「柳腰」を持ち出し、「したたかで強い腰の入れ方だ」と誤用してもなお撤回しない。衝突事件を「外交的敗北」と批判されると一部の海外報道を取り出して「中国より日本の方がずっと上手だったと評価されている」と自賛した。
 ちょっと待ってほしい。14日の参院予算委で自民党の山本一太政審会長が新聞報道を元に事実関係を質問すると「新聞記事を確認する質問なんてものは聞いたことがない!」と高圧的に反論したのは誰だったか。
 仙谷氏自身も野党時代に「新聞報道によりますと」「そういう新聞報道を見たような気がした」などと何度も質問している。「語るに落ちた」とはこのことではないか。
 「私は法律家として法廷技術はある程度のところまで到達したのではないかと自負していた」
 仙谷氏は昨年9月18日、行政刷新担当相の就任あいさつで内閣府職員にこう自慢した。裁判に勝つ法廷技術は学んだが、法律家としての良心はとうの昔にどこかに置き忘れてきてしまったようだ。
 あいさつに際し、仙谷氏が職員に配布した「CHANGEのための仙谷ウェイ」と題する一枚紙にはこう記されていた。
 「間違いを認め、率直に謝ることから始めよう」
 「上から目線をやめて国民目線で語ろう」
 まずは自ら肝に銘じるべきではないか。