NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

「ダライ・ラマ:単独インタビュー全文」

ダライ・ラマ:単独インタビュー全文」(毎日新聞)
 → http://mainichi.jp/select/world/news/20100503mog00m030001000c.html

 ノーベル平和賞受賞者で、チベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世(74)が、4月28日、亡命政府のあるインド北部ダラムサラの法王宮殿で毎日新聞の単独インタビューに応じた。和訳全文は次の通り。

 ◇慈悲や愛…「内なる価値」の重要性を学ぶ教育システムを
Q 今、日本では、リストラ、過労、借金、職場や学校でのいじめなどを理由に、多くの人々が自ら命を絶ちます。日本社会は自信を失っているようにも見えます。毎日新聞を通じ、日本人、日本社会へのメッセージを頂けますか。

A 私は最近、シッキム(インド東部の州)から来た友人と会いました。シッキムは経済的に発展しましたが、そこで暮らす人々にギャンブルやアルコール依存症が増えました。ある者は精神的な不安を抱えています。西側諸国の友人も、そして多くの科学者も同じ状況にあります。現代社会は一般的に人間への慈しみや愛が欠けていると言われます。家族の間でさえも同じ。なぜこんな問題が増えているのでしょうか。

 また、これも最近だが、スイス・チューリヒの大学で科学者たちと会いました。テーマは「現代経済への警鐘」。そこで私はこう強調しました。私の知識は限定的なものだが、何千年も人々は神に祈り、精神的な力を得てきました。そして私は思うのだが、18、19そして20世紀初頭、我々は科学の助けによって技術を発展させ、何千年の祈りが果たせなかったことを科学技術がすぐに結果をもたらしました。科学技術が精神的なものから取って代わりました。そして当然のように、そこにはお金が人々の心に浸透してきました。

 20世紀後半に入ると、発展した国に住む人々は徐々に物質的な価値の限界を感じ始めました。しかし、彼らは「どうしてそうなったのか」を考えようとしません。

 私が思うに、現代教育は物質的な部分を重視しています。もし、人々が限界を感じているのであれば、教育システムにこそ目を向けなければなりません。私たちの内なる価値の重要性について学ばなければなりません。慈悲や愛といった内なる価値は内なる平和に基づきます。お金は内なる平和をもたらしません。お金は欲望とねたみ、そして競争をもたらし、人々の間に猜疑心(さいぎしん)を高めます。そう友人との間でさえも。

 人間の友情をも破壊します。真の人間関係は人間の信頼に基づきます。友情を失えば、人間関係は偽りのものになります。その結果、人は孤独にさいなまれ、精神的に不安定になり、怖れは深まります。人々は、自分は不幸だと感じ、アルコールや麻薬に走り、フラストレーションが貯まり、怒りっぽくなります。そして自ら命を絶ち、他人をあやめさえします。


 ◇お金がすべてという考えは「内なる発展」を妨げる
日本の話をしましょう。私が最初に訪日した1967年、その当時、日本はすでに物質的に恵まれた産業国家であり、仏教信仰を含む豊かな文化遺産も発展させてきたという印象を受けました。だから、私は日本の友人たちに「現代の物質的価値と伝統的な精神的価値のバランスをきちんと取るべきだ」と助言しました。日本にはそれが現実になると感じていたからです。

 物質的な発展はいかなる場合でも、やがて限界に直面します。だから、「あなた方はそのことを心に留め置くべきだ」と。「もしそうしなければ、遅かれ早かれ、あなた方は限界に直面し、精神的に大きなショックを受けるだろう」と。そして、日本は何年か経済成長を果たしたのち、困難に直面しました。そして、今では経済の分野でも危機に苦しんでいるようです。

 そこで私の見解だが、祈りを通してだけでは問題は解決しません。私たちは教育システムを直視しなければならないのです。子供たちに、内面に存在する価値の重要性を教えるべきです。うわべだけの価値に限界があるのは明白だ。内面の安寧をもたらしません。私たちは現実主義者であるべきです。なぜなら、お金を持っているならばすべてOK、といったそういう態度はあまりに非現実主義です。お金が私たちのすべての欲望をかなえることができるという考え方は、内なる発展を阻害するのです

Q しかし、現代のシステムや考え方を変えるのはきわめて困難です。

A 私たちは将来の世代のことを常に考えなければなりません。私たちが直面しているいくつかの問題は、過去の怠慢が引き起こしました。あなた方はそれを除去しなければならないのです。逃げ道はないのです。だからこそ、今を生きる世代は苦しんでいるのです。我々の過去の世代は間違った。変えることに奇跡はない。私たちは真剣に考えなければなりません。そして将来の世代のために。仏教とは輪廻(りんね)だと信じることだ。だから、私たちの次の生誕はよりよく幸せになれるでしょう。

Q チベット人社会では自殺は多いのでしょうか。

A 自殺はほとんどありません。10万人に3から4人くらいの割合でしょう。今回の地震(注:中国青海省玉樹チベット族自治州玉樹県で4月14日に発生)で、中国のメディアは被災地を取材し、被災した人々の様子を目の当たりにしました。被災地ではチベット人たちと比べ、(主に漢族ら)中国人の嘆きと失望は非常に深かったようです。同じ苦しみを受けたにもかかわらず。犯罪は皆無でした。それは仏教の影響であり、私たち(チベット人)の社会を表しています。


 ◇日本人は自負心が強い。隣人が苦しむなら手を差し伸べて
Q 日本人には敬虔(けいけん)な仏教徒は多くありません。

A そのとおりです。儀式としての仏教です。いくつかの困難に直面した時、敬虔な仏教徒であるチベット人の精神はとても平穏です。彼らは心の中で、自信にあふれています。しかし、知識や仏教に関する本当の考えをもたないチベット人たちが、たとえばスイスや米国に行けば、彼らは現地の人々と同じようになります。そして同じ困難に直面します。

 物質的な価値は非常に重要です。とはいえ、物質的な価値だけで満足できると思うのは間違いです。私たちはそのほかの価値観も同等に重要であると、心にとめておかねばならない。仏教徒として、自殺はとてもとても罪深いことです。怒りやねたみに任せた、いかなる判断もしてはならない、これらは無知に基づく破壊的な感情です。こうした非現実的な思考は、やがて自殺をも引き起こすことになります。

 日本人はとても勤勉です。しかし、一方でとても自負心が強すぎないでしょうか。もし家族、隣人が苦しんでいるのであれば、手を差し伸べなくてはいけません。彼らと苦しみを分かち合わなくてはいけません。私たちは同じ人間であり、なんでも一人で解決しなくてもいいのです(笑い)。怒らないで下さい。これは私がよく使う手です。以前、私はインド人記者に「インド人は怠慢だ」と言ったら、彼は怒った。私はいつもそんなことを言う。そう、私こそ怠け者ですからね。

Q 2008年5月の四川大地震に続き、4月に青海省で大地震があり、中国の人々はあなたの訪問を望んでいると聞きます。

A 私たちは個人的なチャンネルを通じて、私の訪中を打診し続けていますが、中国当局は何の返答もよこしません。ただ、私は決して中国当局との緊張を高めたくはない。私は中国の人々と苦しみを分かち合いたいのです。

Q 日本政府は今、中国との良好な関係構築を模索し、米国から距離を置こうとしているようにも見えます。こうした傾向は中国とチベット亡命政府との間の問題に何らかの変化をもたらすのでしょうか。

A 昨年11月、私が沖縄を訪ねた時、そこに暮らす何人かが、沖縄に駐留する米軍基地について私に質問しました。

 ある人からは「日本は主権国家なのに外国の基地があるのはおかしい。すぐに移設されるべきだ」と聞きました。一方で「日本は自由を尊重する国であり、アジアだけでなく、地球規模で安全を守る責任がある」とも聞きました。

 地球規模の視点で言えば、核問題の行方が予測不能な北朝鮮、それに中国の問題もある。これはとても困難な問題です。こうした予測不能な観点から、日本は米国とともに地域の平和を維持する責任もあります。


 チベット問題は対決的手法では解決しない
 今日、日本と中国の関係は良好です。私がいつも言っていることだが、これはインドと中国との関係と同じです。

 インドと中国との関係が良くなれば、相互不信は取り除かれ、インドは中国にチベット問題でも助言できます。問題は、中国そのものではなく、社会のシステムです。中国の不透明さはチベット亡命政府やインド、日本のすべての人々に疑念を生じさせています。もし透明性があれば、社会が開かれ、報道の自由が高まり、猜疑心は必要でなくなります。そして、中国は外国への猜疑心から「閉じこもる思考」を捨て去ることができます。

 チベットの事例のように、中国政府の役人や中国の人々は、チベット文化とはどんなものなのかを知りません。チベット古来の制度さえも。過去30年間で何が起きたのかも。1980年に中国チベット自治区を訪問した胡耀邦氏(のちの党総書記、89年死去)はチベットで起きている非人道的な実態を報告したが、国民には知らされなかった。より開かれた社会、自由な報道が保証されなければ、チベット問題を中国の人々が知ることができないし、解決にも向かいません。

 もし日本とインドが友好関係を発展させ、言論の自由や、司法の独立などすべてを議論できれば、中国政府は猜疑心を捨て去ることができるでしょう。思うに、アジアの二つの強大な国、日本とインドは中国と緊密な関係を構築すべきです。そうすれば、こうした中国の猜疑心はなくなるでしょう。

 過去何年もの間、そして天安門事件(1989年)が起きる前でさえ、私はチベットの人々に「あなた方は中国の人々と接し、関係をよくすべきだ」と言ってきました。そして、2008年の危機(注・チベット自治区の区都ラサなどでチベット族と当局、漢族が衝突し、死者も出た)の後、私たちは大きな努力を重ねてきました。私は外国に住むすべてのチベット人にこう促しました。「スイスにいようと、カナダ、豪州にいようと、外国にいる私たちは中国人と友好関係を構築しよう」と。チベット問題は対話を通じ、相互理解を通じて解決されるべきです。対決的手法では解決しない。

Q 失礼ですが、ご自身で自殺を考えたことはありますか。

A それは最高機密です(笑い)。もし私がそんな感情を抱いたとしても、私は誰にも言わないでしょう。ただ時々、わずかな怒りや失意を感じることがあります。

Q チベット人はさまざまな意味で先進国より苦しんでいます。自殺が極めて少ないのは信じられません。

A チベットの人々の苦しみは(中国当局がチベットを支配した)60年前から続いています。仏教文化の価値を守るのは多くの困難を抱えるが、しかし私たちは信じます。銃はそうした自信に勝ることはできません。


 ◇恥を許せず命を絶つなら、恥を選んだほうがいい
Q 自殺の増加は世界の大きな脅威となっていると考えますか。

A 極端な物質主義的思考は、とても危険です。それは道徳的な倫理観を大切にしません。道徳的倫理観は常に内なる平和と関係があります。汚職や盗みによって得たお金も、あるいは賢明に働いて得たお金も、お金そのものに違いはありません。盗んだお金でもモノを買うことができるし、お金に違いありません。だが、そこには道徳的倫理観の支えはありません。

 世界を襲った経済危機は、強欲な拝金主義と投機的な行為の結果です。人々は人間としての価値感を考えることなく、お金の話ばかりします。中国は(私が住む)インドより経済的に進んでいますが、インドは民主主義や法による統治、報道の自由などのような別の価値観を併せ持っています。私はインドの首相を「高徳な首相」と呼びます。インドを見てみるのがいいでしょう。独立して以来、ずっと(隣国の)パキスタンより安定しています。そう、スリランカやバングラデシュよりも。インドは「民主主義は非常に道徳的な原理」という考えを基本にしているからです。

 もし、頑張っても自信を持てないならば、周囲に頼っても決して問題ではありません。ブッダは自ら托鉢(たくはつ)しました。恥をかきながら生きるか、恥を許せず自殺しようと迷うなら、恥を選んだほうがいい。もし何かを失敗し、そして恥を感じたならば、不幸にも物ごいになっても、それは恥でも何でもない。私たちチベット人は(亡命し)インドに来た時、食べ物を求める物ごいだったのです。だから、失敗しても、自ら命を絶つ理由などないのです。

Q 6月に日本を訪問する際、日本の人々にあなたのメッセージと癒やしを伝えてください。

A そうしましょう。そう、日本を訪ねるたび、私の話を聞きに来る人々の数が増えているのですよ。


ラマのことば

  • 祈りを通してだけでは問題は解決しません。私たちは教育システムを直視しなければならないのです。
  • 私たちは現実主義者であるべきです。
  • 我々の過去の世代は間違った。変えることに奇跡はない。私たちは真剣に考えなければなりません。
  • 物質的な価値は非常に重要です。とはいえ、物質的な価値だけで満足できると思うのは間違いです。私たちはそのほかの価値観も同等に重要であると、心にとめておかねばならない。
  • 怒りやねたみに任せた、いかなる判断もしてはならない、これらは無知に基づく破壊的な感情です。
  • 地球規模の視点で言えば、核問題の行方が予測不能な北朝鮮、それに中国の問題もある。これはとても困難な問題です。こうした予測不能な観点から、日本は米国とともに地域の平和を維持する責任もあります。
  • アジアの二つの強大な国、日本とインドは中国と緊密な関係を構築すべきです。
  • もし、頑張っても自信を持てないならば、周囲に頼っても決して問題ではありません。ブッダは自ら托鉢(たくはつ)しました。
  • 恥をかきながら生きるか、恥を許せず自殺しようと迷うなら、恥を選んだほうがいい。もし何かを失敗し、そして恥を感じたならば、不幸にも物ごいになっても、それは恥でも何でもない。