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マニ教

「『六道図』はマニ教図像か 京大教授ら分析 」(産経新聞)
 → http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/080523/acd0805232319007-n1.htm

 中国・元時代(14世紀)に制作され、仏画の「六道図」とみられてきた大和文華館(奈良市)所蔵の絵画について、ユーラシア大陸で古代に広まったマニ教の教祖、マニらを描いたものである可能性が高いことが23日、吉田豊・京都大教授(言語学)ら複数の研究者の分析で分かった。マニ教絵画の完全品は世界的にもほとんど残存例がないといい、中世期に消えたマニ教の世界観などを知る上で貴重な資料になりそうだ。
 絵画は縦142センチ、横59センチ。入手した時期や経路は不明で、同館ではこれまで、仏教で天上界や地獄などから成る六道図の一種と推察していた。
 しかし泉武夫・東北大大学院教授(仏教絵画史)が平成18年に美術誌「国華」に掲載した論文でこの絵画について触れ、マニ教図像の可能性を指摘。その後、吉田教授が実物を見て、容姿などがマニ教図像と一致することを確認した。


 中でも、4、5段に分かれた図像のうち2段目に描かれているのは、これまでは中央が釈迦、左右は儒者と道士とみられてきたが、吉田教授は、衣装やポーズなどから、中央がマニで、左右は信者と僧侶と指摘。中央の人物は、中国の泉州草庵に残るマニの彫刻とも似ているという。
 また、4段目の女性らが雲に乗っている場面もマニ教で表されるものと酷似。図像の制作地とも考えられる中国・寧波は、マニ教徒が多かったという。
 マニ教は3世紀にバビロニアで誕生。マニはペルシャ人で、ゾロアスター教、キリスト教、仏教などの要素を取り入れてユーラシア大陸で広まっていたが、15世紀までに消えた。
 吉田教授は「貿易で持ち込まれたのか入手経路は不明だが、消えた宗教の絵が日本に残っているのは極めて貴重」。大和文華館の古川攝一(しょういち)学芸員は「六道図ではない可能性が高いと聞き、驚いている」と話した。
 同館の「高僧と美術」展で6月29日まで展示。同月8日午後2時から、吉田教授の講演も行われる。


マニ教 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%8B%E6%95%99
『六道 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E9%81%93