pride
「道ウタリ協会 『アイヌ』復活を提案 理事長『民族名かざす時』」(北海道新聞)
→ http://www.hokkaido-np.co.jp/news/society/93102.html
北海道ウタリ協会(加藤忠理事長)は十六日、札幌市中央区の「かでる2・7」で総会を開いた。加藤理事長は冒頭あいさつで「いよいよ協会名称に民族名をかざす時が来た。一年かけて取り組みを進めたい」と述べ、来年四月一日から協会名称に民族名「アイヌ」を復活させることを提案した。
加藤氏は昨年採択された「先住民族の権利に関する国連宣言」を踏まえ、権利獲得に向けて国への働きかけを強めていく考えを強調した。
その上で「権利を要求するために、協会がより責任を担える組織へと成長しなければならない。大きな歴史的転換点を迎えている」と述べた。
また、政府の内閣官房に権利問題について審議する有識者懇談会の設置などを求めていることを明らかにした上で、「アイヌ民族の長い歴史において、すべての思いを国に認めさせる最後の重大な機会」とも指摘。民族が一致結束して、活動に取り組んでいく重要性を訴えた。
「ウタリ」から「アイヌ」への名称変更は、一九九七年の総会以降、何度も議論されてきた。しかし、「アイヌ」という言葉が差別的に使われた歴史から、会員の中に懸念が根強く、取り下げられてきた経緯がある。
「アイヌ冠して存在感示す」(産経新聞)
→ http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080516/trd0805161102007-n1.htm
遅きに失した感はあるが、評価に値する。
職場のマオリの血を引く仲間は、マオリであることに誇りを持っている。
ぼくにも日本人としての誇りがある。
卑屈になることなく、アイヌとしての誇りを忘れないで欲しい。
人間における偉大さを言い表す私の定式は運命愛である。すなわち、人が何事をも別様に持とうと欲しないこと、前方においても背後においても、あらゆる永遠にわたって欲しないことである。必然的なことを単に耐え忍ぶではなく、まして、隠すのではなく ─ いっさいのイデアリスムスは必然的なものの前では虚偽である ─ 、それを愛することである。
― フリードリヒ・ニーチェ(『この人を見よ』)
わたしは悩む者を助けた自分の手を洗う
悩む者がその悩みをぼくに見られたとき
わたしはそのためのかれらの羞恥を察して
みずから羞しく思ったからだ
それにかれを助けたとき
わたしはかれの誇りを苛酷に傷つけたのだから