NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

憲法記念日

福田恆存の憲法論。


『日本への遺言』より

 現行憲法に権威が無い原因の一つは、その悪文にあります。悪文というよりは、死文と言うべく、そこには起草者の、いや翻訳者の心も表情も感じられない。 われわれが外国の作品を翻訳する時、それがたとえ拙訳であろうが、誤訳であろうが、これより遥かに実意のこもった態度をもって行います。というのは、それを翻訳しようと思うからには、その前に原文に対する愛情があり、それを同胞に理解して貰おうとする欲望があるからで、それがこの当用憲法にはいささかも感じられない。今更ながら欽定憲法草案者の情熱に頭が下がります。よく悪口を言われる軍人勅語にしても、こんな死文とは格段の相違がある。前文ばかりではない、当用憲法の各条項はすべて同様の死文の堆積です。こんなものを信じたり、有難がったりする人は左右を問わず信じる気になれません。これを孫子の代まで残す事によって、彼らの前にわれわれの恥を曝すか、或いはこれによって彼らの文化感覚や道徳意識を低下させるか、そういう愚を犯すよりは、目的はそれぞれ異なるにせよ、一日も早くこれを無効とし、廃棄する事にしようではありませんか。

以下、『日本を思ふ』より

 第九条
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。 
  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 この文章を良く読んでご覧なさい。多少とも言葉遣いに敏感な者なら、そこに自発的意志など毛ほど無いことが感じ取られるでしょう。形式論理的には一応定言判断の形を踏んでをりますが、これはたとえば「銃をしまう!」という職業軍人の間に通用した命令形の変種である事は一目瞭然であります。またこれをどう解釈しても、自衛の為の軍隊なら許されるという余地は何処にも残されてはをりません。事実、吉田元首相は当時そう力説してをりました。現在でも、公法研究者中ほぼ七割が同様の解釈をしてをり、第九条のままでも自衛隊の保持は差し支え無しというのは二割しかをりません。後の一割が自衛隊を認める様、九条を改めるべしという意見です。

 前文
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 これも変種の命令形である事は言うまでもありませんが、それにしても「名誉ある地位を占めたいと思ふ」っとは何といじらしい表現か、悪さをした子供が、母親から「こうお父さんに言ってあやまりなさい」と教えられている姿が眼前に彷彿する様でありませんか。それを世界に誇るに足る平和憲法と見なす大江氏の文章感覚を私は疑います。

 私は当時の日本の政治家がそれほど馬鹿だったとは思わないし、政治家という職業は憲法学者ほど気楽に出来るものとも思わない。改めて強調するまでもありますまいが、これは明らかに押付けられて仕方なく作った憲法です。いかにも不甲斐無いとは思いますが、当時の実情を考えれば、情状酌量出来ない事ではない。しかし、それならそれで事情を説明して国民の前に一言詫びれば良いと思います。アメリカも公式に謝罪した方が宜しい。そうすれば、われわれはさっぱりした気持ちで、それこそ自発的に、われわれの憲法に天下晴れて対面が出来るでしょう。今のままでは自国の憲法に対して、人前には連れて出られない妾のような処遇しか出来ません。もっとも、それを平和憲法として誇っている人も沢山をりますけれど、それはその人達が妾根性を持ち、事実、妾の生活をしているからに他なりません。


福田恆存 - Wikipedia』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%94%B0%E6%81%86%E5%AD%98

日本への遺言―福田恒存語録 (文春文庫)

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私の国語教室 (文春文庫)

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福田恆存文芸論集 (講談社文芸文庫)

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「 米人の作りし日本国憲法 今日より実施の由。笑ふべし。 」

現行憲法施行当時、永井荷風の日記より。