NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

『山月記』

 今思へば、全く、己(おれ)は、己の有(も)つてゐた僅かばかりの才能を空費して了(しま)つた訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦(こっく)を厭(いと)ふ怠惰とが己の凡(すべ)てだつたのだ。己よりも遙かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となつた者が幾らでもゐるのだ。

── 中島 敦(『山月記』

昭和17年(1942)12月4日 中島 敦 没


一日一言「怒りの向けどころ」

十二月三日 怒りの向けどころ


 怒らなければならい人に怒るのは当然だが、その怒りを罪もない人に向けるのは、おろかなことである。だが、役所や店などで争いを起こし、その怒りを我が家に持ち込んで、何も知らない家族にあたり散らすようなことは、この世に少なくない。


  なぐるなら噛みつく犬を擲るべし
      などか家なる猫叱るべき

 

── 新渡戸稲造(『一日一言』)


ブッダのことば

怒らないことによって怒りにうち勝て。

善いことによって悪いことにうち勝て。

わかち合うことによって物惜しみにうち勝て。

真実によって虚言の人にうち勝て。

── 中村 元(『真理のことば』)

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

ブッダの真理のことば・感興のことば (岩波文庫)

人には死を予知する力がある

「死ぬ直前に人間が体験する『虫の知らせ』と『お迎え現象』の正体」(現代ビジネス)
 → https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58599

亡くなる前、急に長男が帰ってきた
宮城県在住のIさん(83歳)は5年前、千葉県で暮す長男がひょっこり帰省した時のことが忘れられない。

長男はかつて不良少年だったため、Iさんは顔を見れば小言をいうのが癖になっていた。一方長男も、既に結婚し、いい歳であったにもかかわらず、母親であるIさんに対してだけはつい反発してしまうところがあったので、「久々の帰省」はいつも大喧嘩になり、「二度と敷居をまたがせない」「上等だ! こんな家もう絶対帰ってこないからな」となるのがオチだった。

「ちょっと時間が出来たからさ。お袋元気かなぁと思って」

照れくさそうに笑うと、出前の寿司をつまみ、母と同居している弟と酒を酌み交わし、終始ご機嫌で過ごした。翌朝は「やっぱりお袋の味噌汁は最高だよ」と、美味そうに朝食の味噌汁をおかわりし、その後は半日、愛車にIさんを乗せて紅葉ドライブを満喫。「じゃあ元気で」と笑顔で別れを告げたのだった。

そして1ヶ月後、長男は心不全を起こして職場で倒れ、緊急搬送されたまま、帰らぬ人となった。享年55歳だった。

「今思えば、息子はお別れに来てくれたんじゃないかと。虫の知らせだったんじゃないかと思うんです」

地元・楽天の優勝に、手を叩いて歓喜する長男の様子を思い出し、Iさんは涙をぬぐった。

事故や病気で不慮の死を遂げた人が、なぜか直前に、世話になった人たちの元を訪れたという話は多い。一方で、逆パターンもよく聞く。

都内に本社を置く、美容系メーカーの会長職にあるTさん(76歳)は、父親が亡くなった日のことを、鮮明に覚えている。

「僕は20歳でした。当時は、大学の友達の家を泊まり歩く毎日だったのですが、その日、急にたまには家に帰ってみるかと思ったんです。妙な胸騒ぎがしまして、帰らないといけない気がしたんですね。それで帰ってみると、家の前に救急車が泊まっていて、親父が搬送されるところでした。

突っ立っていると、玄関から兄が出てきて『ちょうどいいところに帰って来た。俺は付き添って行くから、留守番を頼む』と。結局、親父は脳溢血で、その夜死んでしまいましたが、僕は最後に顔を見ることができた。幽霊とかは全く信じないけど、虫の知らせだけはあると思っています」

大抵の人は、「不思議な偶然」と思うだろう。しかし筆者は、「人間には本来、自分や親しい人の死を予知する力が備わっているのではないか」と考えている。いや人間に限らず、動物は本能的に、死を察知する能力があるのではないだろうか。


医師も認める「死を予知する力」
たとえばゾウは、死期が近づくと仲間のもとを離れ、「ゾウの墓場」で最期を迎えるという。有名な医学雑誌ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシンに紹介され、大変な話題になった「オスカー」という猫は、米国北東部のリハビリテーション介護施設で、患者の死期を感じとり、50人以上の死に立ち会ったと言われている。昔はカラスが屋根に群がっている家では、もうすぐ人が亡くなるなんていう迷信もあった。

ゾウの墓場は都市伝説の類であり、猫やカラスは、人間には分からない死の臭いを優れた嗅覚で感じ取っているだけ、という説もある。それはそうかもしれない。

だが、筆者が以前取材した医師(僧侶から医師に転身した)は次のように語っていた。

「私が属していた宗派では、悟りを開いた僧侶は、自分の死期を察知できるようになると聞いたことがあります。病気ではなく、事故などによる突然死であってもです」

この医師が出会った患者のなかには、自分が死にたいと思った時に、きっちり亡くなった人もいたという。

「その患者さんは、『誰にも看取られずに独りぼっちで逝きたい』と常々おっしゃっていました。独自の哲学をお持ちだったのです。それは看護体制が整っている病院ではなかなか難しいことですが、患者さんは面会の家族が帰って、看護師と私が一瞬病室を空けた隙に、臨終されました。死に顔は非常に安らかで、私には、患者さんがその瞬間を逃さずに亡くなったとしか思えませんでした」


在宅介護の4割が「お迎えあり」
それにしてもなぜ、このような能力が備わる必要があったのだろう。
人間に限っていえば、「死への心構え」「死に対する恐怖を和らげるため」というのがあるように思う。

たとえば医療や介護の現場では「お迎え現象」がよく知られている。お迎え現象とは、死の間際に亡くなった人々が枕元に立ち、あの世への道案内をしてくれるというもの。2008年には、医師と社会学者らによる学術的な研究調査の論文が公表され、話題になった。

調査の中心人物は、宮城県で在宅ケアの医療法人「爽秋会」を主宰していた医師の岡部健氏(2012年にがんで死去)だ。

ある時、岡部氏は死期が近づくと、多くの患者が「お迎えが来た」と話すことに気がついた。そして、そうした人々の多くが死の恐怖が和らぎ、穏やかに旅立っていることに注目し、2007年、仲間の医師や母校の東北大学社会学者らと一緒に、これまで看取った700人近くの患者の遺族に「(亡くなった)患者が、他人には見えない人の存在や風景について語ったり、感じていたりした様子はなかったか」を尋ねる、アンケート調査を行ったのだ。

すると、366人の遺族から回答が寄せられ、そのうちの42.3%が「亡くなる前に『お迎え現象』があった」と答えたという。

さらに、お迎え現象が起こるのは「自宅」が87.1%で圧倒的に多く、「病院は」わずか5.2%。亡くなる数日前が一番多く43.9%で、ほとんどの人はお迎えが来てから1~2週間以内に旅立っていた。

興味深いのは患者の反応で、お迎えが来ても「怖い」と思った人は少なかったようで、お迎え後の故人の様子を尋ねると、「普段どおりだった」「落ち着いたようだった」「安心したようだった」などの肯定的な回答が45.8%。「不安そうだった」「悲しそうだった」などの否定的な回答36.8%を上回っていた。

また、お迎えに来た相手は、「亡くなっている家族や友人」が52.9%と多く、飼っていたイヌやネコが現れるケースもあった。そして、お迎えが来た人の約9割が穏やかに旅立っていた。


「せん妄」と「お迎え」は違う
こうしたお迎え現象は、医学的には「せん妄」と診断され、脳の機能低下が主な原因と考えられている。

しかしせん妄の特徴は、突然発症し、数時間から数週間にわたって継続し、かつ症状が時間とともに変化するというもの。その症状も、突然暴れ出す、意味不明なことを口走る、妄想・幻覚・幻聴、攻撃的になるなどで、お迎え現象とは似て非なるもののような気がする。

実際に、介護現場で働き、せん妄の患者に寄り添うことが多い施設の職員は、「せん妄の方は、恐怖におびえて苦痛を訴え、話す内容も混乱しています。でも、お迎えが来たとおっしゃる患者さんは、意識ははっきりしておりストーリーもきちんとしています」と違いを語る。

症状がひどい場合は治療の対象にもなる「せん妄」も「お迎え現象」も、原因は明確にされていない。岡部氏は「この現象を科学的に解明したり否定したりするのではなく、安らかに旅立つ死へのプロセスと考え、まず実態を調べるべきだ」と主張していた。

お迎えと似た現象は、認知症の一種であるレビー小体型認知症でも見られる。「小さな子どもが家のなかで遊んでいる」「戦死した夫がやってきた」「知らない男性がたくさんいる」など、幻視がかなりはっきりと見えるらしい。

頭の後ろ側(後頭葉)の血流が悪くなることが原因と説明されているが、患者本人にとっては「現実」そのもの。それなのに、家族が気持ち悪がって否定することで、家族間の関係が悪くなるケースが多いといわれている。まずは「本当に見えている」ことを理解し、否定せず、受け入れることが大切だ。


生涯が、走馬灯のようにかけめぐる
SF作家の故・星新一氏の傑作に『午後の恐竜』(新潮社)という作品がある。

現代社会に突然出現した巨大な恐竜の群れ。蜃気楼か? 集団幻覚か? それとも立体テレビの放映でも始まったのか?──」というわけで世間は驚き、大騒ぎになるのだが、恐竜は蜃気楼でも幻覚でもなく、「地球」が「死ぬ間際」に、走馬灯のようにかけめぐっていた「生涯」だった。

筆者の父親は、病気で亡くなる一ヶ月前、「幻聴」を走馬灯のように楽しんでいた。父は病気の影響で耳がほとんど聞こえていなかったのだが。

「面白いんだ、この頃。小さい頃から聞いてきた会話や音楽や、さまざまな音が、ずーっと蘇って聴こえてくる。だからこうしてベッドに寝たきりでも、全然退屈しないんだ」と微笑んだ。

地球はどうか知らないが、人間には、死を穏やかに受け入れるための準備的な能力が備わっているのだろう。

『シェルパ基金』

「【野口健の直球&曲球】大切なことを気づかせてくれた『シェルパ基金』」(産経新聞
 → https://www.sankei.com/column/news/181129/clm1811290004-n1.html

 講演終了後、1人のネパール人青年が控室に訪れて僕を驚かせた。パサン・リンジ。約10年ぶりの予期せぬ場所(日本)での再会に驚きと喜びで気がついたら手を握っていた。僕が初めて彼に会ったのは、彼が8歳の時だ。

 パサン・リンジの父親は、シェルパとしてエベレスト清掃隊を支えてくれていた。しかし、体調不良が続き、翌年のエベレスト清掃隊の参加を見送っていた。しかし、彼は他の登山隊でヒマラヤに向かい遠征中に病死。訃報はエベレストの僕の元にも届き、愕然(がくぜん)とさせられた。「しまった…僕の隊にいればケアができたはず」と、後悔の念に駆られた。シェルパたちは、家族を養うために過酷なヒマラヤ登山を続けている。体調不良だからといって、簡単に休めるはずがなかったのだ。

 その翌年(2002年)から、ヒマラヤで犠牲となったシェルパの遺児への教育支援を目的とした「シェルパ基金」を設立。パサン・リンジは、シェルパ基金の第1期生としてカトマンズの学校に入学した。ヒマラヤでは毎年、何人ものシェルパたちが山で命を落とす。その度にシェルパ基金でサポートする子供が増え続けた。彼らの成長を見守りながら「この活動は途中でやめるわけにはいかない」と責任の重さを感じていた。

 資金集めは簡単ではなく、大変な時もあったが、うれしいことの方が多い。彼らに共通するのは、学ぶことをとても喜んでいたこと。目をキラキラと輝かせながら教室に入っていく姿に、学校に通えることが当たり前で「恵まれていることにすら気がつかなかった」自分の子供時代を振り返っていた。

 日本で再会したパサン・リンジは「すぐに健さんに会いたかったけど、日本語を話せるようになるまで、我慢していたよ。僕の日本語を聞いてほしかったから。まだ学生だけれど日本で一生懸命学んで、将来、ネパールのために働きたい。あなたのシェルパ基金のおかげです」ときれいな日本語で話してくれた。

 僕のほうこそ「大切なことを気づかせてくれて、ありがとう」と心の奥底から感謝していた。

シェルパ基金』 http://peak-aid.or.jp/action/sherpa-fund.html
NPO法人ピーク・エイド』 http://peak-aid.or.jp/

一日一言「大河は山のふもとを回る」

十一月三十日 大河は山のふもとを回る


 三度食べるご飯も、硬いときもあればやわらかいときもある。特別に注文する品でも、注文どおりにはいかぬものだ。同様に、物事には何一つとして自分の望みどおりにはいかないのが普通である。どのような大きな河でも大きな山にさえぎられ、思いのままには流れない。大河は山のふもとを回り、小さな舟は蘆(あし)の間をこいでいくより進む道はない。ままならないのが人生である。


 〈明治天皇御製〉
  何事も思ふがまゝにならざるが
      かへりて人の身の為にこそ

 

── 新渡戸稲造(『一日一言』)


お千代さんに曰く、

 人には信じられないことだけれど、言って見れば、私は、何か困ることがあって、それを少しずつ直して行くのが好きである。

── 宇野千代『行動することが生きることである』

George Harrison

今日はジョージの日。
George Harrison (25 February 1943 ─ 29 November 2001)





コンサート・フォー・ジョージ [DVD]

コンサート・フォー・ジョージ [DVD]

オールタイム・ベスト

オールタイム・ベスト

「『日本人のための経済原論』復刊に寄せて」

小室直樹は20世紀から届けられた最終兵器だ」(東洋経済オンライン)
 → https://toyokeizai.net/articles/-/71492

小室直樹ほど「知の巨人」の名にふさわしい学者はいないだろう。博覧強記にして、稀代の社会科学者・小室直樹の経済学の代表作『小室直樹の資本主義原論』、『日本人のための経済原論』が合本として復刻した。720ページの大著『小室直樹 日本人のための経済原論』がそれである。同書に寄せられた「ハゲタカ」シリーズの作家・真山仁氏の前書きを掲載する。

ハゲタカシリーズの推薦文から始まった


 「前期的資本の国・日本が一人前になるために、真に貴重な作品である」

 2007年、ハゲタカシリーズの第2作『バイアウト』(現在は『ハゲタカ?』に改題)刊行に際して、小室直樹氏からいただいた「推薦」の言葉だ。

 それまで小室氏とは、一面識もなかった。私は経済の門外漢で、氏の著作も拝読していなかった。にもかかわらず、このぶしつけな依頼に、小室氏はふたつ返事で「ぜひ、推薦しよう!」とおっしゃってくださったと、当時の編集担当者から聞いた。

 感激した私は、「直接お会いしてお礼を申し上げたい!」と訴えた。だが、当時小室氏はご体調が優れず「そこまでには及ばない。これからも頑張ってほしい」とお会いできなかった。この絶好の機会を逃したきり、私は生前の小室氏にごあいさつできなかった。

 そんな後悔を抱えたまま月日は流れ、思いがけないことに、東洋経済新報社から本書の推薦文執筆のご依頼をいただいた。当初は「私は、小室氏の門下生でも経済学に詳しいわけでもないので」と固辞しようと思った。

 ところが、小室氏が生前『バイアウト』を気に掛けてくださって、「一度会ってみたい」とおっしゃっていたと聞き、ならば恥を忍んで恩返しをせねばと、この大役をお引き受けした。

 そして、改めて本書の元となった『小室直樹の資本主義原論』と『日本人のための経済原論』を拝読し、遅まきながら小室氏が私の作品にあの推薦文をくださった意味をかみしめた。


日本は資本主義国家ではない
 本書で小室氏は、日本はまだ資本主義国家ではないと繰り返し述べている。

 「資本主義、即ち、自由市場の原理とは『淘汰』であり、淘汰とは、失業と破産にある―」

 そう断言し、日本ではそれが正しくなされていないと一刀両断されている。上記の言葉は至言であり、私自身がハゲタカシリーズを書くたびに、何度も実感しているものと同じだ。

潰れそうな企業を国が守る。

 市場を国がコントロールして危機を防ぐ。

 経済行為に善悪や博愛主義を持ち込む―。

 なぜ、こんな不自然なことが起きるのかを、ずっと考えてきた。そして見えてきたのは、日本における資本主義の偏った考え方だった。日本では、厳然と存在するマイナス面(リスク)に目を向けず、資本主義のプラス面ばかりを強調するきらいがある。

 さらに、リスクが顕在化したら、経済の専門家までもが一斉に「国が何とかしろ!」と叫び出す。そうなると、「政府は自由主義市場に口を出すな」という資本主義の大前提は吹き飛んでしまう。どう考えても、この国は資本主義国家ではない。本当の資本主義とは優勝劣敗、弱肉強食でしか成立しないのではないか。

 そもそも資本主義とは、人間の欲望をエネルギー源に、競争し活性されて発展するものだ。そこに正義も博愛主義もない。誰かが儲かれば、誰かが損をする。それだけの話だ。

 日本が真の資本主義国家を目指すのであれば、民間企業の自由競争を妨げるような愚行は一刻も早くやめるべきだ。また、経営危機で倒産に瀕した企業を国家は救ってはならない。

 しかし、バブル破綻、リーマンショックを経験して、日本では、それとは正反対の事象ばかりが起きている。


「経済官僚は経済学が分かっていない」
 「経済官僚は、経済学が分かっていない」とは小室氏の言葉だが、2015年の現在も、それは続いている。ある官僚から聞いた話だが、「政府には、競争抑制の原理があって、業界を牽引している大手が経営危機になると救うのが常識」らしい。なぜなら、大手が倒産すると業界のバランスが崩れて、激しい競争が生まれる。それを防ぎたいというのだ。

 また、国家財政が事実上破綻しているのに「税収が増えないのであれば、赤字国債を発行すればいい。国債が売れ残ると大変だから、日銀は率先して買え。国債を買う資金がなくなりそうなら、カネを刷ればいい」という到底信じがたい政策を推し進める総理に、誰もダメ出しができない。

 小室氏の言に付け足すとすれば、そのだらしなさはマスコミも同様で、彼らも経済学を理解していない。いったい日本はどうするつもりだ!

 とまれ、いまだに日本国内では危機感は薄い。何かがマヒしているのか、あるいは無関心が蔓延してしまっているのか。いずれにしてもこのままでは、日本経済は座して死を待つだけに思えてならない。

 そこまで考えるに至って、己の勘違いに気づいた。資本主義の真理を語るのに、経済学なんて不要だと思っていたが、それは誤りであったと。

 資本主義とは、動物の生存競争そのものだと私は解釈している。競争に負けるのは、必然的な理由がある。その結果、その種は“淘汰”され、環境に即した生態系が維持される。それを無理に歪めると、生態系が破壊される。このルールと資本主義はまったく同じでないか。だから、わざわざ経済学を持ち出さずとも、日本の中途半端の矛盾は理解してもらえるはずだと、これまでは確信していたのだ。

 しかし本書を読んで、それではダメなのだと知った。経済の仕組み、中でも資本主義経済の仕組みを理解するには、やはり経済学の範疇の中で真理を伝えるしかない。そして、わからないやからを説得するためには、平易で説得力のある理論武装が必要なのだと。本書こそ、そのための“最終兵器”なのではないだろうか。


21世紀の今こそ読まれるべき憂国の書
 本書は、なによりわかりやすい。経済学の書で必ず登場する数字や数式のマジックではなく、人間の行動原則や心理、さらには歴史的経緯が端的に示されているため、本質が鮮明に浮かび上がってくる。

 たとえば、自由市場には「疎外」があると定義づけられる。疎外という言葉が経済学に用いられていることに、私のような素人は驚くが、それが自由と対比して説明されると、「なるほど、つまり自由市場って、特定の誰かの思いどおりにならない(これこそを疎外と呼ぶ!)から“自由”なんだ」というパラドクスがすとんと腑に落ちる。

 こうした小室氏独特の説得が、随所に散りばめられている。本書は経済学に詳しくない人に、正しい経済学を学んでほしいという小室氏の願いが込められている。だから、単純明快にもかかわらず基礎知識としての必須事項が拾える仕組みにもなっている。

 すなわち、小難しい“学”を振りかざすのではなく、世の中で起きている出来事を、しっかり洞察するために必要な道具として“学”を授けてくれるのだ。

 本書に収録された著作は1997年(『小室直樹の資本主義原論』)と1998年(『日本人のための経済原論』)で発表されたものだ。それにもかかわらず、現在の日本が置かれている経済事情をまるで予言するような言及が随所に見られる。

 アベノミクスを牽引するマネタリストらが陥るであろう陥穽(かんせい)や、財政赤字がもたらす破滅(ちなみに、本書が書かれたときの財政赤字はまだ500兆円だったが、それでも小室氏はもう破産していると強く訴えている)、政府による市場介入の愚、などなど―。

 本書で鳴らされている警鐘は、21世紀の今、焦眉の急となって我々に迫っている。本書で経済の仕組みを理解し、納得したうえで、日本の未来を共に語ろうではないか。