NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

山の日

山の日

山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」日。



富士山 3,776m

赤岳(八ヶ岳連峰) 2,899m

利尻山 1,721m

燧ヶ岳(福島・尾瀬) 2,356m

黒岳(大雪山系) 1,984m

木曽駒ヶ岳中央アルプス山系) 2,956m

トムラウシ山 2,141m

鳥海山 2,236m

十勝岳 2,077m

斜里岳 1,547m

























『「山の日」協議会::山と自然を考える国民の祝日』 http://www.yamanohi.net/

 日本人ほど山を崇(たっと)び山に親しんだ国民は、世界に類がない。国を肇(はじ)めた昔から山に縁があり、どの芸術の分野にも山を取扱わなかったものはない。近年殊(こと)のほか登山が盛んになって、登山ブームなどと言われるが、それはただ一時におこった流行ではない。日本人の心の底にはいつも山があったのである。

── 深田久弥(『日本百名山』)

日本百名山 (新潮文庫)

日本百名山 (新潮文庫)

花の百名山 (文春文庫)

花の百名山 (文春文庫)

日本百低山

日本百低山

柳田国男の夏休み

一昨日の『産経抄』より。


「【産経抄柳田国男の夏休み 8月8日」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170808/clm1708080003-n1.html

 昨日に続いて、夏休みの話である。民俗学者柳田国男は明治30年、大学2年の夏休みを愛知県の渥美半島で過ごしている。伊良湖岬の浜を散歩していると、流れ着いたヤシの実を見つけた。

 柳田は晩年、ヤシの実を黒潮に乗って南方から渡来した日本人に重ね合わせて、名著『海上の道』を書いた。そのなかで、友人の島崎藤村が柳田から話を聞いて「椰子(やし)の実」の歌を作ったエピソードも明かしている。♪名も知らぬ遠き島より…。流れ着いたヤシの実の故郷は、どこだったのだろう。

 渥美半島の海岸は古来、魚や貝、植物から難破船まで、さまざまな「海の贈り物」に恵まれてきた。観光協会(現観光ビューロー)では、有名になったヤシの実をなんとか町おこしに利用できないかと、知恵を絞った。そこで生まれたのが、沖縄県石垣島を「名も知らぬ遠き島」に見立てるアイデアである。昭和63年から毎年夏には、ヤシの実を現地の海に投げ入れてきた。

 これまで30回にわたって流したヤシの実は3379個にのぼる。約1600キロの「海上の道」を通って渥美半島にたどり着いたのは、わずか4個である。列島各地の浜辺では、約130個が見つかっている。観光ビューローでは、ヤシの実のオーナーと拾った人を渥美半島に招いて、「対面式」を行ってきた。

 ♪故郷(ふるさと)の岸を離れて 汝(なれ)はそも波に幾月…。台風5号は迷走を続け各地に大雨を降らせたあげく、日本列島を縦断中である。今年投げ入れられたばかりのヤシの実は、荒れ狂う波にもまれて、どこを漂っているのか。

 今日は、昭和37年に87歳で亡くなった柳田の命日に当たる。立秋が過ぎ、「国男忌」は秋の季語となる。とはいえ猛暑は、これからが本番である。

遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

遠野物語・山の人生 (岩波文庫)

婚姻の話 (岩波文庫)

婚姻の話 (岩波文庫)

“MOOMIN’S DAY”

「8月9日ムーミンの日 13回目のムーミンの日」(ムーミン公式サイト)
 → http://moomin.co.jp/moominsday2017

みんなにもっとムーミンを知ってほしい。
そんな思いで始まった8月9日の「ムーミンの日」。2005年ムーミン60周年を機に、作者トーベ・ヤンソンの誕生日8月9日をムーミンの日と定めて以来、8月9日には様々な催しを開催しています。
そんな中でも、「ムーミンの日の集い」は、大変盛り上がるイベントに成長しました。一昨年のムーミン70周年には、市原悦子さんに、昨年は落語家の春風亭一之輔師匠にムーミンの朗読をしてもらいましたっけ。どちらも、とっても素敵でした!
そして今年も、東京 虎ノ門のニッショーホールで「2017 ムーミンの日の集い」を開催予定です。ミニライブや、ムーミン物語の朗読、ミイのお団子頭で来場するともらえる限定の缶バッジや、ムーミン谷の仲間たちとの撮影会など、楽しいプログラム満載の「ムーミンの日の集い」に抽選で、合計500名様をご招待!恒例のムーミン絵手紙コンテスト受賞作品の発表や、オリジナルトートバッグの配布も行っています。
皆さんご一緒に、ムーミンの日をお祝いしましょう。たくさんの皆さまのご参加をお待ちしております。

ムーミン公式サイト』 http://moomin.co.jp/


たかが“ムーミン”、子供の童話と侮るなかれ。なかなかどうして哲学的。
名言二十選。

  • 「おだやかな人生なんて、あるわけがないですよ」スナフキンが、ワクワクしながらいいました。(『たのしいムーミン一家』)
  • だれかを崇拝しすぎると、ほんとうの自由は、得られないんだよ。スナフキンムーミン谷の仲間たち』)
  • せっかくの人生なのに! きみたち、修繕にてんてこまいで、朝から晩まで、とびまわってるんですね。骨おって働くなんて、考えただけでも、気がめいってきますよ。なんのためになるんですか。ぼくの親戚にね、触覚やひげがたれ下がってヨレヨレになるほど三角法の勉強をしたやつがいたんだけど、習い終わったとたんモランがやってきて、食べられてしまった。そう、やつは今や、すごい秀才になって、モランのお腹の中で、のびてるんだ!(ヨクサル『ムーミンパパの冒険』)
  • (大危機への憧れを静めて、細やかで優しい穏やかさで心を満たしてみたんだ。しかし、状況は、ちっとも好転しなかった。こんなことをしていたら、ニョロニョロたちに、ごく普通のベランダ・パパと思われてしまうかも・・・・・・) パパは、気が気ではありませんでした。ムーミンパパ『ムーミン谷の仲間たち』)
  • みんなも知ってるでしょう? 毎日毎日、おびえてばかりいると、だれだって、すきとおって消えてしまいそうになるわよね?(トゥーティッキ『ムーミン谷の仲間たち』)
  • 「その調子だと、おまえ、すぐにおとなになっちまうぞ」と、ホムサ兄ちゃんがさとしました。「父さんや母さんみたいな、おとなになるんだ。おまえにゃ、ぴったりだぜ。ごくふつうに見て、ごくふつうに聞くだけのおとなだ。つまり、なーんにも見ないし、なーんにも聞かないってことだな。とどのつまり、おまえは、なんにもできなくなっちまうんだ。」(『ムーミン谷の仲間たち』)
  • (道や川って、なんだか、とっても不思議なんだ)スニフは思いました。(どこへ行くんだろう・・・・・・って見つめていると、なんだか、ワクワクするみたいな、なつかしいみたいな気持ちになるんだ。どこか知らないところへ、たまらなく行ってみたくなって、いったいどこまで行くんだろう・・・・・・って、ついてってみたくなってしまう・・・・・・)(スニフ『ムーミントロールと彗星』)
  • なんだってできるわ。だけど、なんにもやらないでいましょ。ああ、なんだってできるって、なんてステキなことなの!ミムラねえさん『ムーミン谷の十一月』)
  • だれも心配しすぎないって、いいことでした。ムーミンたちは、ほかのひとのために、やたらと心配しないでいようと、きめていました。つまり、そのほうが、心配をかけたと思って良心をいためなくても、すみます。それに、ありったけの自由をあたえあっていることにもなるのです。(『ムーミン谷の仲間たち』)
  • ムーミンママにいわせれば、「堕落の人生なんて、楽しくさえないに、きまっています」ということですが、パパは、そんなきっぱりしたことは、いいませんでした。(『ムーミン谷の仲間たち』
  • (そのひとのことをだれも話さない、それに、だれにも話しかけてもらえない、なんてひとがいたら、そのひと、だんだん消えてってしまうにちがいないぞ。だって、自分がいるって、信じられなくなってしまうもの)ムーミントロールムーミンパパ海へいく』)
  • 「この子、怒ることも、できないのよ」ちびのミイが、いいました。「それが、この子の悪いところだわね」(『ムーミン谷の仲間たち』)
  • 未知のことばかりでした。でも、全部、自分で判断してきめました。そして、なにひとつとして、いままでどおりのやりかたではやりませんでした。わたしは、すこぶる幸せでした。(『ムーミンパパの冒険』)
  • むかしあるところに、自分が持っている品物たちをこよなく愛している奥さんがいたんだ。奥さんには、子どもがなかったので、よろこびも悩みもなく、はたらいたり食事をつくったりする必要もなかった。ほかの人がどんなふうに思うかなんて、気にもしなかった。こわいものは、なにもないひとだったんだ。だけどね、奥さんは、遊び心というものを、失っていた。つまり、とてもさびしい毎日を、すごしていたんだ。スナフキンムーミン谷の仲間たち』)
  • 秋になると、残るものと旅立つものがいます。いつだって、そうでした。好き好きでいいのです。でも、とりかえしがつかなくならないうちに、早めに決心することです。(『ムーミン谷の十一月』)
  • 「ものは、自分のものにしたくなったとたんに、あらゆるめんどうが、ふりかかってくるものさ。運んだり番をしたり・・・・・・。ぼくは、なんであろうと、見るだけにしている。立ち去る時には、全部、この頭にしまっていくんだ。そのほうが、かばんを、うんうんいいながら運ぶより、ずっと快適だからねぇ・・・・・・」スナフキンムーミントロールと彗星』)
  • 「こうして彗星探しの旅をしていることに比べたら、コーヒー沸かしの一つや二つ、どこへ消えたって、たいした問題ではないだろう?」スナフキンムーミントロールと彗星』)
  • ふたりは、たがいにさりげなく敬意をはらいあい、そのくせふたりとも、自分の世界をしっかりと保っていました。相手のためになにかをしてあげるなんてことはなく、わかりあおうともしなけてば、気にいられようともしませんでした。こういうのも居心地よくいっしょにすごす、一つの方法ではないでしょうか。(『ムーミンパパ海へいく』)
  • 「その奥さん、親戚は多いし、知りあいもたくさんいたんだ。でもね、いうまでもなく、“知りあいがわんさといたって、友だちはひとりもいない”ってことは、ありうるんだよ」スナフキンムーミン谷の仲間たち』)


ビョーク、『コメット・ソング』。

新装版 たのしいムーミン一家 (講談社文庫)

新装版 たのしいムーミン一家 (講談社文庫)

ムーミン谷の名言集 (講談社文庫)

ムーミン谷の名言集 (講談社文庫)

でたらめ映画「軍艦島」

今日の藻岩山頂より。


「【櫻井よしこ 美しき勁き国へ】でたらめ映画『軍艦島』と徴用工の嘘を否定せよ 日本政府は慰安婦問題の失敗を繰り返すつもりか」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/politics/news/170807/plt1708070012-n1.html

 慰安婦問題で事実無根の日本非難に屈した外交の失敗を、わが国は再び、徴用工問題で繰り返してはならない。

 7月26日にソウルで封切られた映画「軍艦島」を機に、身に覚えのない非難を再び進んで受け入れ、慰安婦と同じ失敗の道をたどるのか。そう危惧せざるを得ない交渉を外務省は進めてきた。

 近代日本の石炭産業の発展を知るうえで貴重な長崎県端島炭坑(通称・軍艦島)は明治日本の産業革命遺産を構成する23遺跡のひとつとして2年前、世界遺産に登録された。

 映画「軍艦島」はしかし、虚偽と捏造でわが国の誇るべき産業革命の現場である端島を「地獄島」として描いた。徴用工は船底に押し込められて強制連行され、窓のない貨車に詰め込まれて長崎に運ばれたというのだ。ドイツのユダヤ人に対する仕打ちを連想させる場面があれば、家族連れで島に来た朝鮮の女性や女児が夫や父親と離され、遊郭で働かされる場面もある。反抗した罰に全身に入れ墨を彫られた女性、あるいは無数の五寸釘が突き出た戸板の上で転がされ、全身血だらけで殺される女性も登場する。

 虐殺に耐えかねて朝鮮人は集団脱出を決意、端島で日本人と朝鮮人が銃で撃ち合い、火炎瓶を投げ合って戦ったというのだ。あり得ない。

 五寸釘の戸板の罰は悪名高い国連特別報告者クマラスワミ氏の報告書にある北朝鮮の元慰安婦と称する人物の作り話で、これまたあり得ない。

 このようなでたらめ映画が製作され国際社会に流布されるそもそもの原因は、前述のようにわが国の外交にある。1993年、河野洋平氏の官房長官談話、クマラスワミ報告への長年にわたる反論なき沈黙、マイク・ホンダ前米下院議員の不条理な慰安婦非難への形だけの反論の結果、「日本軍=慰安婦=性奴隷」と決めつけられ、「国際社会の規範に違反して恥じない」日本国が徴用工も強制労働させたと論難されているのだ。

 韓国政府は複数のルートを駆使して、徴用工の強制労働、不当かつ非人道的な扱いに関する非を認めるよう日本政府に要求し続ける。外務省への直接の申し入れにとどまらない。端島を所管する長崎市の市長にも、昨年4月27日、朴鎭雄総領事らが「日本政府は世界遺産登録決定の際に強制労働を知らせるため、情報センター設置を含めて検討すると発言したが、目に見えてこない」として、政府への働きかけを要求した。

 先の映画は、「日本政府は朝鮮人への強制的な労務があったことを、2017年12月までに報告すると約束したが、現在それが履行される様子がない」の字幕で終わる。韓国政府の要求が明確に反映されているが、強制労働も朝鮮人徴用工の虐待も虐殺も事実ではない。

 九州大学教授の三輪宗弘氏は1945(昭和20)年に一旦朝鮮に戻った労働者の多くが再び日本に戻ろうとした事実を指摘する。米国国立公文書館の統計データ「Illegal Entry of Koreans」から、昭和20年段階で約1万人の朝鮮人が日本への密入国で捕まり、送り返されていたことが明らかだ。

 「奴隷労働や虐殺が行われていたとしたら、なぜ再び密入国してまで日本に戻ろうとするのか、説明できない」と三輪氏は話す。

 にもかかわらず、外務省は日本が朝鮮人労働者を虐待したかのように認めて、そのことを広報するための情報センターまで約束した。

 世界遺産への登録は、ユネスコの諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)の勧告によってなされる。2015年5月、日本は8県にまたがる23施設(端島含む)すべての登録が認められるとの満額回答を得た。

 しかし、外務省が「韓国の意向も尋ねなければ」と言い始めた。世界遺産への登録は各国の責任と判断で申請され、それをイコモスが判断する。韓国も中国も関係ないにもかかわらず、外務省は韓国に気兼ねし、韓国は日本の登録阻止に動いた。日本外務省は韓国に譲歩し、徴用工は「forced to work」と、自ら書いた。国際的に見れば、時効のない罪、強制労働を認めたに等しい。慰安婦と徴用工、すべて日本外交の国益なき敗北主義から生まれているのだ。

 歪曲、捏造、条約の無効化など、あらゆる手段で日本追及に突き進む韓国の意図を外務省は認識し、事実に立脚して理論武装をすべきだ。

 13年7月10日、ソウル高等裁判所新日鉄住金に、同社を訴えた4人の韓国人原告に戦時中の労働に対する賃金等1億ウォンの支払いを命じた。原告らはそれ以前に日本で完敗していた。03年10月、最高裁が、日韓基本条約で徴用工の請求権問題は解決済みと判断したのだ。

 彼らが韓国で勝訴したのは、韓国司法の考え方や対日姿勢の変化ゆえである。彼らは判決文で天皇陛下を「日王」と呼び、日韓基本条約に基づいた日本の司法判断を、以下の理由で覆した。

 「日帝強占期の日本の韓半島支配は規範的観点から不法な強占にすぎず、日本の不法な支配による法律関係のうち大韓民国憲法精神と両立しえないものはその効力が排斥される」

 こうして国際常識に反して請求権は解決済みとした日韓基本条約が否定され、日本側が敗訴した。中国人は韓国人の闘い方に学び中国で訴えを起こし始めた。その筆頭が三菱マテリアルのケースだ。

 歴史を捏造する国に対する武器は事実しかない。事実に目をつぶり、妥協する名誉なき怯懦は許されない。

八月六日

 八月六日は一日限りの広島の思想家が集まる日である。知るものは言わず、知らないものがしゃべる日である。そしてその他の日本国民が冷淡なくせに熱心に平和を口にする日である。

── 山本夏彦『何用あって月世界へ』

一日一言「ぜいたく」

八月五日 ぜいたく


 食事のたびに兵糧の粗末さを思い出し、衣服においては甲冑の窮屈さを思い出し、住まいにおいては陣中の不自由さを思い出し、日常生活では山野をかけるときの苦しさを思い出し、父母・妻子が同じ家に住み、兄弟や親族と、遠く離れ離れになっていたときの悲しかったことを思い出して、今日の幸せを大切にすれば、何もぜいたくを望まない。これは徳川景山(斉昭)の教えである。

── 新渡戸稲造一日一言