NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

一日一言「命を懸けて守るもの」

七月十七日 命を懸けて守るもの


 人はそれぞれ心の奥に大事なものを持っている。これは各自が崇拝する神がおられるところである。世の中を生きていくうえで、一歩も二歩も他人に譲ることはいいが、人がもし自分の心の中を荒らそうとしたならば、周囲にあるものまでは許すとしても、自分の心中にあるものは命を懸けて守ることこそまごころである。


   皆人の詣る社に神はなし心の中に神はまします
   千早振る神の社は我が身にて出る入る息は外宮内宮

── 新渡戸稲造(『一日一言』)

朝日・毎日が加計問題重要証言を黙殺

「加計問題で重要証言「黙殺」、朝日新聞はなぜネットで嫌われるのか」(ダイヤモンド・オンライン)
 → http://diamond.jp/articles/-/135110

10日に開催された加計学園問題を巡る閉会中審査。この中で出た、前愛媛県知事の貴重な証言を朝日や毎日などが「黙殺」するという事態が起きた。読者が嫌う「偏向報道」だが、それ以上に朝日のスタンスには大きな問題がある。(ノンフィクションライター 窪田順生)


朝日と毎日が前愛媛県知事の発言を「黙殺」
 前川喜平・前文部科学省事務次官のロジックにならえば、こっちの話も「はじめから結論ありきで、不透明なプロセスのなかで報道が歪められた」ということになるのではないか――。

 10日に開催された加計学園問題をめぐる閉会中審査に出席した、加戸守行・前愛媛県知事の発言を朝日新聞毎日新聞などが「黙殺」したことがネットで話題になっている。

 ご存じの方も多いと思うが、加戸前知事は12年前から今治市獣医学部を誘致するために「岩盤規制」をこじ開けようとしていた方で、文科省の後輩にあたる前川喜平・前事務次官の主張をかねてから「全否定」している。閉会中審査でも以下のように「前川ロジック」をメッタ斬りにした。

《『加計ありき』と言いますけど、12年前から声をかけてくれたのは加計学園だけであります。
 私の方からも東京の有力な私学に声をかけました。来ていただけませんかと。けんもほろろでした。結局、愛媛県にとっては12年間加計ありきでまいりました。いまさら、1、2年の間で加計ありきではないのです》

《行政が歪められたという発言は、私に言わせると少なくとも獣医学部の問題で強烈な岩盤規制のために10年間、我慢させられてきた岩盤にドリルで国家戦略特区が穴を開けていただいたということで、歪められた行政が正されたというのが正しい発言ではないのかなと思う》

 この主張が正しいかどうかはさておき、今回の問題の「舞台」である愛媛県の首長として、長くこの問題に主体的に関わってきた「当事者」の言葉であることは間違いない。つまり、我々国民がこの問題を自分の頭で考え、判断をするにおいては、極めて重要な証言なのだ。


結論ありきの紙面づくりが「歪められた報道」の温床に

 しかし、朝日新聞毎日新聞では、加戸氏など、まるで存在しなかったかのような紙面になっているのだ。

 なぜこのような「歪められた報道」が生まれるのかというと、「結論ありき」で紙面をつくっているから、だというのは明らかだ。

 両紙とも、閉会中審査をやる前から「正義の人・前川さん」の主張が正しくて、「安倍お友達軍団」が嘘をついているというストーリーが出来上がっている。だから、それにそぐわないような話は、いくら喉を枯らして訴えても「ボツ」となる。

 そう聞くと、「閉会中審査は、前川さんが主張している圧力があったのかどうかが争点で、そんな前知事の発言なんて大した問題じゃないから報じなかっただけだ」とか反論する人もいるが、そんなことはない。

 今回の問題が持ち上がってから、獣医学部の誘致に関わった中心的人物として加戸氏の元にはさまざまなメディアが訪れ、読売新聞や産経新聞が記事化、日本テレビなどもインタビューを放送している。

 しかし、朝日新聞では6月21日の「愛媛版」は加戸氏にインタビューしているものの、全国版では、前川氏の発言に触れた記事の多さと比べて、加戸氏の発言はごくわずかしか報じていない。毎日新聞も同様に、ほとんど触れていない。つまり、一部メディアにとって加戸証言というものは、この「疑惑」が持ち上がってから今日に至るまで徹頭徹尾、「報じる価値がない」という位置付けなのだ。

 朝日新聞などは嬉しそうに《加計問題の説明「納得できない」66%》(2017年6月19日)と触れ回っていたが、なんのことはない、「国民が納得できるような話」を報道していなかったとも言えるのだ。

 これだから「マスゴミ」は信用できないんだ、と怒りに震える人も多いかもしれない。ただ、かばうわけではないが、「朝日」や「毎日」から、このような「歪められた報道」がなくならないのは、致し方ない部分がある。


両論併記は生ぬるい!
朝日に殺到した識者の「お叱り」

 実はあまり知られていないが、「偏向」「反日」と叩かれたせいで、近年の朝日新聞は特定の論調に偏らないよう、かなり神経をつかっていた。しかし、長年の愛読者やら一流ジャーナリストのみなさんから「もっとしっかり偏向しろよ」と嵐のようなクレームがきてしまったのだ。

 たとえばわかりやすいのが、2015年10月24日の「難民批判イラスト、差別か風刺か 日本の漫画家が投稿、国内外で波紋」という記事が炎上をしたケースだ。

 大きな批判を浴びた、はすみとしこ氏の「難民」を題材にしたイラストを扱った記事だが、その論調がどっちつかずの両論併記になっていたことで、一部から「こんなレイシズムをなぜ批判しない?」と朝日新聞に批判が殺到した。

 福島第一原発事故の「吉田調書」と、従軍慰安婦問題の「吉田清治」という「W吉田事件」で、世間から激しいバッシングを受け、朝日はすっかり腰抜けになったのではないか。そう憤った左派リベラルのみなさんから、「中立公正とか生ぬるいこと言ってんじゃねえ」と檄が飛んだのだ。

 その代表が、「報道特集」でおなじみの一流ジャーナリスト・金平茂紀さんにインタビューした際に頂戴したこんな「苦言」である。

――危機管理優先がジャーナリズムの勢いをそいでいます。
朝日新聞がそうですね。とりあえず違う意見を載せておこうと、多様な意見を紹介するとのお題目で両論併記主義が広まっていませんか。積極的に論争を提起するのではなく、最初から先回りし、文句を言われた時のために、『バランスをとっています』と言い訳ができるようにする。防御的な発想ではないですか(朝日新聞2016年3月30日)

 要するに、「守り」に入らず、今までみたいにガンガン偏っていきなさいよ、というわけである。このような「叱咤激励」が多く寄せられることによって、「W吉田事件」後、怒られた子どものようにシュンとうなだれていた朝日新聞に、往時のイケイケぶりが戻ってくる。


ジャーナリストは偏るのが当たり前

 それを象徴するのが、加計問題の「総理のご意向文書」を報じた1週間後の5月23日に掲載された「報道、これでいいのか」というオピニオン記事である。そのなかに登場した神奈川新聞デジタル編集委員の石橋学さんは、まるで今回の閉会中審査をめぐる「偏向報道」を予期していたかのようなエールを送っている。

「報道には公正中立、不偏不党が求められると言われます。ただ、多くの記事がそれを意識するあまり、視点がぼやけていないか。読者に判断を丸投げし、自分で判断をして主張することをサボっていないか。そう問いたいのです」(朝日新聞2017年5月23日)

 この提言からほどなく、朝日全紙をあげた「正義の前川」キャンペーンが始まったのはご存じのとおりだ。

 加計学園問題で朝日新聞が前川さんのことに触れた記事を数えたら122件あった。読売新聞が79件だということを考えると、本件で朝日新聞が強烈な「主張」を展開しているのは明らかだ。

 そう言うと、まるで「朝日」をディスっているように聞こえるかもしれないが、そんなつもりはない。

 筆者はかねてから「ジャーナリストは偏るのが当たり前」だと主張してきた。記者もジャーナリストもOJTで取材テクニックや人脈を構築しただけの普通の人で、裁判官のように司法研修所で「中立公正」とは何かを叩き込まれたわけでもない。どんなに偏るまいと思っていても、自らの主義信条、価値観、経験則などに必ず引っ張られる。

 しかも、今回、前川さんをネタ元とした「朝日」と、官邸をネタ元にした「読売」の論調がきれいに分かれたように、日本のマスコミは情報源にベッタリと依存する「アクセスジャーナリズム」に頭までどっぷりとつかっている。

 そういう意味では、朝日新聞が今回のように加戸前知事を「黙殺」したというのも、実にジャーナリストらしい偏りぶりだと思っている。いろいろなご意見があるだろうが、加戸氏の証言を事実上ネグってしまうことが、彼らが信じる「正義」だったのだ。

 ただ、ひとつ不満なのは、自分たちが「偏っている」ということを読者に対してしっかり説明をしていないことだ。


正義面しつつ偏向報道
「欺瞞」こそが嫌われる元凶

 なぜ朝日新聞が叩かれるのかというと、「中立公正」「不偏不党」とか格好いいことを言っているが、実はバリバリに偏っているからだ。加計学園問題の一件でも、「社会正義」だと胸を張りながらも、実は「結論ありき」でストーリーをつくっている。

「正義」を掲げながらも、実は自分たちがつくったストーリーに沿って証拠を捏造して、自白も強要した大阪地検特捜部と同じような「偽善」を感じる。それがマスコミ不信を助長しているのだ。

 この悪循環を断ち切るには、「偏向」を認めるしかない。赤旗聖教新聞を「偏向メディアだ!」と怒る人はいない。これらのメディアは、ある特定の人々の「正義」に偏っているということが周知の事実だからだ。

 こういう出口戦略にこそ、朝日新聞の活路があるのは明らかなのに、なかなか一歩を踏み出さない。だからいつまでたっても、「反日」や「偏向報道」のそしりを受け続けるのだ。

 自分たちが絶対的な正義だという看板を下ろさないかぎり、このネガティブイメージを拭うことはできないのではないか。

 ワイドショーでは、政治ジャーナリストのみなさんたちが、「安倍一強の潮目が変わってきましたね」とニヤニヤしながら語っている。先日酒を飲んだ新聞記者も何がそんなにうれしいのか、「第一次安倍政権の時と似てきたな」と上機嫌だった。

 個人的には安倍政権がどうなろうと知ったことではないが、安倍さんが首をとられた後に発生するであろう「マスコミへのバッシング」には興味がある。

 確かに、多くの国民が安倍首相の説明に納得していないというのも事実だが、それと同じくらい加計学園問題や森友学園問題の「マスゴミ」の報道姿勢に対して納得していない人も多い。

 そのような「歪められた報道」で一国の首相が首をとられたら、マスコミ不信に陥っている人々の怒りや憎しみがどこへ向けられるのかは推して知るべしだろう。

 よく朝日新聞なんかは、トランプがマスコミ不信を煽ったと言うが、事実は違う。もともとアメリカ人のなかに、CNNやニューヨークタイムズといった、偏向ぶりが際立ったメディアに対する不信感が広まっていた。

 トランプが大統領選に勝利する少し前、世論調査会社ギャラップが全米で18歳以上の1200人を対象に調査したところ、マスコミ報道を「正確で公平」と答えたのは、わずか32%にすぎなかった。トランプは人々のなかで膨れ上がっていたマスコミ不信を「ガス抜き」しただけなのだ。

 同じことは、日本でも十分起こり得る。というより、「歪められた報道」がここまで注目を集めている今、いつ起きてもおかしくはない。

 実は「潮目」が変わっているのは、「マスゴミ」も同じではないのか。

「上からの演繹」は、かならずまちがった結論へと導く。

「【産経抄】『安倍首相は悪である』演繹法を誤用するマスコミ報道」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170715/clm1707150003-n1.html

 一般的な原理から、事実関係を推理・説明することを「演繹(えんえき)」という。AはBである。BはCである。ゆえにAはCである-という「三段論法」は、演繹によって判断を求める演繹法の代表的なものだとされる。これを用いた結論が真であるためには、前提の正しさと、飛躍がないことが不可欠だろう。

 安倍晋三首相は、学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部新設計画をめぐり、野党が要求する閉会中審査への出席を決めた。自ら説明を尽くすという考えに異存はないが、マスコミがその中身をきちんと伝えるかというと心もとない。

 これまでの一連のマスコミ報道を追うと、演繹法が誤用されている印象が濃い。安倍首相は悪である。加計学園理事長は安倍首相の友人である。ゆえに不正がなされたに違いない。そんな根拠のない前提のもとで、飛躍した論理が流布されてはいないか。

 『ビルマの竪琴』の作者として知られるドイツ文学者、竹山道雄唯物史観を批判する評論の中でこう説いた。「まずある大前提となる原理をたてて、そこから下へ下へと具体的現象の説明に及ぶ行き方は、あやまりである」。

 その上で、さらに続ける。「『上からの演繹』は、かならずまちがった結論へと導く。(中略)事実をこの図式に合致したものとして理解すべく、都合のいいもののみをとりあげて都合の悪いものは棄(す)てる」。

 衆参両院が10日開いた閉会中審査で、加計学園誘致を進めた当事者の加戸守行・前愛媛県知事が行った証言について、翌11日付の朝日新聞毎日新聞の朝刊は、一般記事中で一行も取り上げなかった。安倍政権の対応を批判する前川喜平・前文部科学事務次官の主張と真っ向から食い違うため、都合が悪いと棄てたのだろう。

昭和の精神史 (講談社学術文庫 (696))

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「朝日新聞 勘違いしていませんか」

「朝日社説『蓮舫氏の戸籍公開はあしき前例』こそ『勘違い』」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/politics/news/170713/plt1707130037-n1.html

 民進党蓮舫代表の「二重国籍」問題をめぐり、朝日新聞は13日付朝刊で「民進党 勘違いしていませんか」とする社説を掲載し、戸籍謄本の公開について「プライバシーである戸籍を迫られて公開すれば、例えば外国籍の親を持つ人々らにとって、あしき前例にならないか」と懸念を示した。蓮舫氏のケースに限っていえば、この指摘こそ「勘違い」ではないか。

 もちろん、親が外国人であったり、外国籍から帰化した人への差別はあってはならないし、排外主義的に出生の秘密を探ることは許されない。しかし蓮舫氏は国会議員であり、中でも首相の座を狙う野党第一党の党首という特別な立場だ。

 首相は自衛隊の最高指揮官であり、日本の国益を左右する外交と安全保障に最終的な責任を持つ。首相の国籍問題は一点の曇りもあってはならず、一般人とは比較にならないほど説明責任を求められる。

 蓮舫氏は「生まれたときから日本人」と述べていたのが「日本国籍の取得は17歳」と変わり、「台湾籍は抜いている」が「確認したところ残っていた」と説明が変遷した。昨年10月に台湾籍の除籍手続きを終え日本国籍の選択宣言をしたと表明したが、証明する公的書類は公表していない。

 朝日社説も「公党のリーダーとして不適切だった」としたが、口頭だけでは信用してもらえない素地を作ったのは蓮舫氏本人だ。

 こうした対応は党首としての信頼性を失墜させ、民進党の支持率が低迷する一因となったのは明らかだ。東京都議選でも、民進党を離党した元公認候補は「街頭で『二重国籍の代表は信用ならない』と罵声を浴びた」と証言している。

 蓮舫氏が国籍問題で説明責任を完全に果たさない場合こそ「あしき前例」になる。


「(社説)民進党 勘違いしていませんか」(朝日新聞
 → http://www.asahi.com/articles/DA3S13033443.html?ref=editorial_backnumber

「沈黙の春」の罪

「【産経抄】『沈黙の春』がヒアリの拡大を許した」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170712/clm1707120003-n1.html

 クラムチャウダーという料理がある。貝のむき身にジャガイモやタマネギなどの野菜を加えて作る。発祥の地である米国の東海岸では、現地でよく採れるホンビノス貝が使われる。

 ハマグリを大きくしたような貝が平成12年ごろから、東京湾でも見られるようになった。外国貨物船のバランスを取るために注入されるバラスト水に紛れ込んで運ばれてきたらしい。今では、江戸前の新顔として定着している。

 こんな外来生物なら大歓迎だが、そうは問屋が卸さない。17年に施行された「外来生物法」で指定された、日本の生態系を乱す生物との戦いは終わりが見えない。22年前に大阪府で発見されて大騒ぎとなったセアカゴケグモは、今も生息域を広げている。

 国内各地で発見の報告が相次いでいるヒアリは、この毒グモと比べても攻撃性と毒性ともに高いというから、恐ろしい。アルゼンチン原産の凶暴なアリは、1930年代に貨物船の積み荷に潜んで、米国南部に侵入した。被害を大きくしたのは、環境汚染の告発者として知られる米国の生物学者、レイチェル・カーソンとの指摘もある。62年に発表した『沈黙の春』で、ヒアリの被害を否定し、農薬の危険性を強調していた(『アリの社会』東海大学出版部)。

 その後もオーストラリアや中国、台湾へと「密航」を続け、ついに日本にたどり着いたというわけだ。まさにグローバル時代を体現している生き物である。米国ではヒアリに刺されて年間約100人が死亡し、5千億円もの経済損失が出ている。

 専門家によれば、ヒアリが巣を作って数年後、羽を持った女王アリが飛び立ってしまえば、駆除が難しくなる。テロとの戦いと同じように、水際作戦を成功させるしかない。

沈黙の春 (新潮文庫)

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