NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

初心不可忘

「人生や物の見方が変わる、『初心』のすすめ」(ライフハッカー
 → https://www.lifehacker.jp/2017/06/170610_life_like_beginner.html

 この世には、初心者を好ましく思わないような風潮があります。求人では、初心者レベルの仕事でも、4年以上の経験を求められることが多いです。スポーツチームでも、新人は失敗したり、勝利に貢献しなかったりするので、歓迎されません。

初心者は濡れ衣を着せられることもよくあります。そのせいで、多くの人がたくさんの素晴らしい人生経験を逃しています。

外部から苦情が来ていない時でも、初めてのことで失敗したら自分を責めます。「馬鹿みたい。なんでこんなことしてるんだろう?」というようなことを言います。そして、その過程で学んだり成長したりする前にやめてしまいます。今回は、初心者であることの素晴らしさをお伝えしたいと思います。


初心の受け入れ方を学ぶ

初心者の心には多くの可能性がある。熟練者の心にはほとんどない。

──鈴木俊隆

これは禅宗における初心の考え方で「初心」と言われているものです。基本的に初心とは、ある世界の入口に立った時、自分に慢心がないかを確認し、慢心があればそこに置いていく、という意味です。そのことに関する予想や自分の意見は捨て、無心になってそれに取り組み、心を開き、常に学ぶべきことがもっとあるということを理解します。

この初心の考え方は、新しいことを学ぶ時だけでなく、日常生活でも同じように応用することができます。自分の行動にもっと意識的になったり、気を配ったりするという意味です。自分が正しくやっているかどうかを考えるだけでなく、まったく初めての時のように、それを経験し、楽しむことでもあります。

今朝、私は朝食にほうれん草のオムレツに、フルーツをアボカドを添えたものを食べました。その美味しさを噛みしめ、その食事をするのに必要なすべてのことを考えるのに、少し余計に時間をかけました。食べ物は、文字通り地面から育ち、収穫され、包装され、運送され、それを私が買い、最終的にお皿に乗るまで、特別な方法で調理し、準備をしました。どれくらいの頻度で立ち止まり、それがどんなに素晴らしいことかを考えていますか?

私は今日は素晴らしく幸せだと感じました。それは偶然ではないと思います。


初心を持つことが素晴らしい4つの理由

誰もが初心という考え方を受け入れたら、多くの苦痛、ストレス、不幸を回避することができます。初心を持つようにした方がいい理由はたくさんあります。今回はその中でも気に入っている4つの理由をご紹介します。


理由1:不安が減る

不安は、私にはとてもよくある問題です。高校を卒業して大学に進学するのに、何年間も悩んできました。今は、不安は良いものだと思っています。不安は、危険なものを浮かび上がらせ、自分の身を守るためのものです。問題は、私たちの先祖と違って、危険なものや脅威というものを毎日経験しないことです。

不安をこじらせたり、不安に生活や人生を支配されると、悪化するだけです。普通は、不安を完全に排除しようと極端な行動に出ますが、それは正しい対処の仕方ではありません。それよりも、不安を受け入れ、自分なりのやり方で対処する方法を学ばなければなりません。対処の方法はたくさんあります。

初心も、あらゆる状況で不安を鎮める方法のひとつだとわかりました。例えば、仕事の大事なプレゼンの前に不安にさいなまれそうになったら、今の瞬間を味わい、事の成り行きがどうなるかを興味本位で考えるようにしました。うまくプレゼンができれば最高です。うまくできなかったら、少なくともそこから何かを学ぶでしょう。

不安は恐怖と共にあります。初心のような考え方を通して恐怖心を取り除くと、不安はそんなにパワフルなものだとは思わなくなります。


理由2:もっと楽しくなる

いつでも初心者として心を開いて活動に取り組めば、もっと楽しくなります。例えば、チェスを始めたばかりだとします。初心者の立場から見ると、まったく新しいことを学ぶことのワクワク感を楽しめます。チェスの経験がある場合でも、心を開いていれば、多分それまで気づかなかった面白いことを発見するでしょう。

この世には本当の専門家はほとんどいない、自分より少し上手い人がいるだけだ、ということを思い出すことが大事です。どんな分野でも、いつでも学ぶべきことはたくさんあります。

最高の医者というのは、最新の技術や研究に通じている人です。人気のない医者は古いやり方に固執し、より良い可能性のある新しい医療や技術を却下します。

退屈なルーティンにはまっている場合は、状況を改善するのに2つの選択肢があります。まったく新しいことをするか、とてもシンプルなことでも驚く子供のように、初心者目線で別の見方をするかです。そうすれば、ルーティンもそこまでつまらなく思わなくなります。


理由3:習慣化する力になる

良い習慣を身につけるのに一番大変なことは何でしょう? 習慣化するくらい十分長く続けることです。

この一番の理由がルーティンです。何度も繰り返していると、ルーティンがつまらくなったり、完全に飽きてしまったりします。前述の理由2で学んだように、初心によってルーティンを再び楽しく感じることができ、習慣化するのがより楽になります。

また、うんざりしたり、やめたりしていると、習慣は身につきません。初心によって、嫌なことを受け入れやすくなり、習慣化する過程に楽しみを見出すことができます。

最近、私がストレスが溜まっている時に、「ダイヤモンドは圧力をかけられてできる」というJoe Roganの言葉を聞いて励まされました。どんな瞬間も、初心でいればプレッシャーを和らげることができます。


理由4:たくさんの良い人付き合いができる

人間というのは複雑で、人はそれぞれ違います。私たちは、同じような価値観や考え方を持っている人に引き寄せられる傾向がありますが、それでは付き合う人の数がかなり限定されます。

誰かと話していて、その人の考え方や物の見方にイラッとしたら、少し立ち止まって、自分の視点を変えてみましょう。相手の立場にたって物事を見てみます。自分の考え方と合わない人や物を排除するのではなく、心を開いて、なぜそのように考えるのか興味を持ちましょう。

自分の考え方や、自分の本質を変える必要はありません。しかし、他人の意見を聞いたり、受け入れたりすることで、もっとたくさんの友だちができます。多少間違っていたとしても、悪気のある人は多くありません。一人を理解するだけで、人生が変わることもあります。

個人的には、初心を実践した方がいい人に関する Leo Babautaの考え方が好きです。「嫌なやつが好きな人はいない。心を開き喜んで学ぼうとする初心者は、嫌なやつから最も遠い」。


どこから始めればいいのか?

できれば、この初心を少なくとも一度は試してみて欲しいところです。何の努力もなしに、今すぐ始めることもできます。自分がやっていることで、何かに気付くために少し時間を取ってみるだけです。

例えば、私の場合は、開発に何年もかかった技術を元にした機械によって作られた、ノートパソコンのキーボードを叩いています。ここに座りながら、私の指の動きに合わせて画面に文字が表示されます。これがすごいことだと思わなければ、どうしようもない馬鹿です。

何かに気付き始めたら、新しいものでも、古いものでも、自分がやっている活動や行動に、もっと意識的になりましょう。初心になることで、自分の見方がいかに変わるか、いかに幸せを感じるかに驚くはずです。


4 Amazing Reasons to Live Life like a Beginner|Pick The Brain

死者にこそ投票権を!

 伝統とは、あらゆる階級のうちもっとも陽の目を見ぬ階級、われらが祖先に投票権を与えることを意味するのである。死者の民主主義なのだ。単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない。伝統はこれに屈服することを許さない。あらゆる民主主義者は、いかなる人間といえども単に出生の偶然により権利を奪われてはならぬと主張する。伝統は、いかなる人間といえども死の偶然によって権利を奪われてはならぬと主張する。正しい人間の意見であれば、たとえその人間が自分の下僕であっても尊重する──それが民主主義というものだ。正しい人間の意見であれば、たとえその人間が自分の父であっても尊重する──それが伝統だ。民主主義と伝統──この二つの観念は、少なくとも私には切っても切れぬものに見える。二つが同じ一つの観念であることは、私には自明のことと思えるのだ。われわれは死者を会議に招かねばならない。古代のギリシア人は石で投票したというが、死者には墓石で投票して貰わなければならない。

── G.K.チェスタトン『正統とは何か』

1936年6月14日 ギルバート・キース・チェスタトン 没。


 正統派保守思想家、ORTHODOXY。


伝統とは、
われらが祖先に投票権を与えることを意味するのである。死者の民主主義なのだ。
単にたまたま今生きて動いているというだけで、今の人間が投票権を独占するなどということは、生者の傲慢な寡頭政治以外の何物でもない。


正統とは何か

正統とは何か

思想の英雄たち―保守の源流をたずねて (角川春樹事務所 ハルキ文庫)

思想の英雄たち―保守の源流をたずねて (角川春樹事務所 ハルキ文庫)

ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)

ブラウン神父の童心 (創元推理文庫)

一日一言「年配者に対する礼」

六月十三日 年配者に対する礼


 長老に無礼なことをすれば長老を追い越したと思う人もいるし、陰で大臣の名前を呼び捨てにすれば、自分の位が高いものだと思い、上官をののしれば、それで上官以上の才能があると思い、教師の悪口を言えば、それで教師より学問を極めたと思うのは、ものの道理を知らないからである。


   礼敬を常に忘るる人として
       上下を知る人ぞ人知る

   なべて照る月の光にさまざまの
       影こそかはれ野辺の秋草

── 新渡戸稲造(『一日一言』)


『次室士官心得』より。

  • 礼儀正しく、敬礼は厳格にせよ。 次室士官は、「自分は海軍士官の最下位で、何も知らぬものである」と心得、譲る心がけが大切だ。親しき中にも礼儀を守り、上の人の顔を立てよ。よかれあしかれ、とにかく「ケプガン」を立てよ。
  • 少し艦務に習熟し己が力量に自信を持つ頃になると、先輩の思慮円熟なるが却って愚と見ゆる時来ることあるべし。これ即慢心の危機に臨みたるなり。この慢心を断絶せず増長に任し、人を侮り自ら軽んずる時は、技術学芸共に退歩し、終わりに陋劣の小人たるに終わるべし。
  • 何につけても分相応と言う事を忘れるな。次室士官は次室士官として、候補生は候補生として、少尉中尉各分あり。
  • 諸整列が予め分かっている時、次室士官は下士官兵より先に其の場所に在る如くせよ。
  • 艦内で種々の競技が行われたり、また演芸会など催される祭、士官はなるべく出て見ること。下士官兵が一生懸命にやっているときに、士官は勝手に遊んでおるというようなことでは面白くない。
  • 上下の区別を、はっきりとせよ。親しき仲にも礼儀を守れ。 自分のことばかり考え、他人のことをかえりみないような精神は、団体生活には禁物。自分の仕事をよくやると同時に、他人にも理解を持ち、便宜を与えよ。

 「次室」とは士官次室、英語で、ガンルーム、少尉候補生、少尉、中尉たちのラウンジといふか、公室です。此の、ガンルームを公室とする若手士官たちの日常心掛けるべき事項を列挙したものが、すなわち「次室士官心得」でして、民間の企業でいえば新入社員心得帖みたいな小冊子なのです。いろんな細かなことが書いてあって、説教くさいと言えば説教くさいんだけど、海軍を知らない人が想像しそうな、滅私奉公、命を捨ててお国のために尽くすと覚悟とか、そんなしかつめらしい項目はほとんど無しです。

── 阿川弘之著(『高松宮と海軍』)

高松宮と海軍

高松宮と海軍

海軍の「士官心得」―現代組織に活かす

海軍の「士官心得」―現代組織に活かす

「オダサク」新草稿発見

「『オダサク』新草稿発見 中国舞台のスパイ活劇戯曲」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/west/news/170609/wst1706090067-n1.html

 小説「夫婦善哉」などで知られ、「オダサク」の愛称で親しまれた作家織田作之助(1913~47年)が執筆した戯曲の草稿が新たに見つかったことが9日、大阪府中之島図書館(大阪市北区)などへの取材で分かった。中国・上海を舞台にしたスパイ活劇とみられるという。

 中之島図書館などによると、大阪出身の織田の没後70年に当たる今年、養女の禎子さんが日記や手紙など約650点を同図書館に寄贈。草稿はこの中に含まれていた。

 戯曲のタイトルは不明で、400字詰めの原稿用紙計20枚。前後が欠けているためストーリーの全容は分かっていないが、中国人名の若い女性工作員らがテロ集団と対決する場面などが書かれ、女性工作員らが拳銃で撃ち合うシーンもあった。工作員たちがテロ集団の拠点を突き止めて「連絡員に化けて、うまくはいりこむのよ」と策を考え、間もなくクライマックスという場面で終わっている。

「『オダサク』新草稿発見 中国舞台のスパイ活劇戯曲」(共同通信
 → https://this.kiji.is/245813106708824073

 まさしく日本文学にとつては、大阪の商人気質、実質主義のオッチョコチョイが必要なのだ。文学本来の本質たる厳たる思想性の自覚と同時に、徹底的にオッチョコチョイな戯作者根性が必要なのだ。かゝる戯作者根性が日本文学に許容せられなかつた最大の理由が、思想性の稀薄自体にあり、思想に対する自覚自信の欠如、即ちその無思想性によつて、戯作者の許容を拒否せざるを得なかつた。鼻唄をうたひながら、文学を書いてはいけなく、シカメッ面をしてシカメッ面をしか書くことができなかつたのである。

── 坂口安吾『大阪の反逆』

『行動することが生きることである』

自分の貧乏なぞに気にしないで、とにかく生きていくチャンスを探しに、一歩前進する、構わず歩き出して見る。

そういうのが好きです。

── 宇野千代『行動することが生きることである』


平成8年(1996)の今日は、宇野千代さんの命日です。


『行動することが生きることである』より厳選25言。
名言の宝庫です。

  • 人間の考えることは、その人の行動によって引き出されることが多い。
  • 自分から進んでその中に這入っていくことによって、私は傷つかないことを覚えた。
  • 何事をするにも、それをするのが好き、と言う振りをすることである。それは、単なるものまねでもいい。すると、この世の中に、嫌いなことも、また嫌いな人もいなくなる。
  • 悪口を言わない、ということは、そう難しいことではない。悪口を言うと、気持ちが悪い。私はただ、気持ちの悪いことはしないだけなのだ。
  • 恋とか愛情とか言うものは、そこにないものを見る心の作用のことなのだ。
  • 人はその人自身の思っているほど、自分の嫌いな、自分に不似合いな行き方はしないものである。
  • 人には信じられないことだけれど、言って見れば、私は、何か困ることがあって、それを少しずつ直して行くのが好きである。
  • 人間というものは、一旦覚悟を決めたとなると、どんなことでも出来るものです。
  • どん詰まりの状態になったときに、私ならどうするのか、と言うことをお話しましょうか。 私なら、自分が最後に下した判断を、絶対に信じる、と言うことです。
  • 人間は自分の可厭(いや)なことは決してしないものだ。
  • 人間は、ちょうど自分の見ようとするもの、自分の聞こうとするもののほかは、理解しないものだ。
  • 人間は自分の作った観念に支配されるのが好きだ。
  • 人と言うものは面白いもので、自分の思っていることを人に話したりするたびに、どうしてもこのことを実行したい、と切実に思うよになる。
  • 人はその持っている能力によって失敗する。
  • おかしなことですが、自信のない人間は、褒められた事柄に対しても、また新しい不安を持つものであり得ると言うことです。
  • 人間は誰でも、自分が平静であると言う状態を装って、それで生きて行く。
  • 人間というものは、他愛もないことであればあるほど、腹を立て、それを止めないことがある。
  • しかし、一ぺん人に笑われたら、あとは笑われた者の得だ。
  • やりきれない状態と言うものは、その当人がやりきれないと思う分量が多ければ多いほど、やりきれない形になる。平気でいれば或る程度、平気になれるものである。
  • 人間と言う動物は、何事にも飽きるものである、と言うことをお忘れなく。
  • 真の友だちに対しては残酷になりたい、と私はそんなことを思ったのでした。
  • 未練の感情くらい、人を愚かに、そして弱々しくさせるものはない。
  • 人は、自分の好きなことをするためにする少しばかりの苦労は、心にかけぬものである。
  • どんなことでも一生懸命でやっていると、とても面白くなるものです。
  • 自分の貧乏なぞに気にしないで、とにかく生きていくチャンスを探しに、一歩前進する、構わず歩き出して見る。そういうのが好きです。

宇野千代の札幌時代を歩く』 http://www.tokyo-kurenaidan.com/uno-chiyo1.htm#unochiyo3
淡墨桜と根尾谷断層』 http://sakura5.net/neo/


12年も前に立ち寄った岩国、錦帯橋

『2005年08月16日(Tue) 「15日目」』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20050816
『2005年08月02日(Tue) 「旅に出ます」』 http://d.hatena.ne.jp/nakamoto_h/20050802

 お国はどちらです?と訊かれると、「岩国です、あの錦帯橋の」と答えるのが私の癖である。いつ帰ってみても錦川の水は澄んでいる。魚がおよいでいるのがよく見える。春夏秋冬の錦帯橋は、それぞれに美しいが、桜のころの錦帯橋は、特に大好きである。この錦帯橋をわたるたびに、私は何ともいえない幸福な気持ちになる。いくら自慢しても自慢しきれないほどの気持ちになるのである。

── 宇野千代

薄墨の桜 (集英社文庫)

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