NAKAMOTO PERSONAL

空にある星を一つ欲しいと思いませんか? 思わない? そんなら、君と話をしない。

子供たちのチャンス奪ってはならない

「【野口健の直球&曲球】登山への挑戦 子供たちのチャンス奪ってはならない」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170406/clm1704060004-n1.html

 栃木県那須町のスキー場で高校生ら8人が雪崩により犠牲となった。この遭難事故、情報が入るほど疑問が浮かぶ。引率していた教員は会見で「絶対安全だと判断した」というが、山に「絶対」はない。「何をもって絶対安全なのか」と問われ、「何年か前にも同じ場所で訓練していたから」と。同じ山でもその時の状況によっては別物だ。雪崩注意報が出て「登山は中止」としながら、何ゆえにスキー場や周辺での訓練ではなく、樹林帯を抜け、山頂付近へと続く雪の斜面まで登らせてしまったのか。

 理解に苦しむのは「冬山」ではなく「春山」で起きた遭難事故なのに、県教委が今回の事故を受けて「高校生の冬山登山禁止」の検討を始めたことだ。「春よりも冬の方が危ない」と感じている人が多いかもしれないが、春になれば破壊力の強い全層雪崩が増える。判断を間違えれば夏山でも遭難をする。平成21年7月、北海道のトムラウシ山で暴風雨の中、ガイドが判断を誤り、多くの登山客が低体温症で犠牲となった。季節によって規制をするのは、あまりに安易、大切なことは状況を見極める力を養うことだ。

 特に今回は引率者らによる判断ミスの可能性が高い。まずやるべきことは何ゆえに遭難に至ったかを検証すること。次に指導者のレベルアップ。ある日、突然山岳部の顧問に任命され、慌てて登山靴を買いに行った教師の話を聞いたことがある。素人が山岳部の顧問になるようでは季節に関係なくリスクだ。プロの登山ガイドをコーチとして受け入れることも必要だろう。

 僕が高校生の頃、立川女子高山岳部がヒマラヤの未踏峰を登頂し、話題となった。現役高校生によるヒマラヤ登山にどれだけ刺激され、勇気をもらったことか。僕も登山を始めたのは高校1年生。山に登ることでいくらでも世界が広がっていくような、人生が時めき始めた瞬間だった。これからというときに多くの高校生が犠牲になったこの事故。悲しみと悔しさとやるせない気持ちに支配される。ただ同時に思う。山に挑戦したい子供たちのチャンスを奪ってはならない。

ダライ・ラマ、60年ぶりの再会

ダライ・ラマ、亡命時のインド人警護官と約60年ぶりの再会」(AFPBB News
 → http://www.afpbb.com/articles/-/3123766?cx_tag=pc_sns&cx_position=8#cxrecs_s

【4月3日 AFP】インド北東部への訪問を開始したチベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ(Dalai Lama)14世(81)は、チベット(Tibet)動乱で中国に対する蜂起に失敗し、インドへ亡命した際に警護に付いたインド人の元国境警備兵と2日夜、約60年ぶりに感動の再会を果たした。

 ダライ・ラマは1959年、動乱を鎮圧しようとした中国政府がチベット自治区に大量の軍隊を投入したため、身の安全のために故郷のチベット自治区を後にした。その際にダライ・ラマは、インドの国境警備兵を退役したナレン・チャンドラ・ダス(Naren Chandra Das)さん(79)と出会い、今回はその時以来の再会となった。

 インドPTI通信によると、同国北東部アッサム(Assam)州の州都グワハティ(Guwahati)での式典でダスさんと会ったダライ・ラマは明らかに感動した表情でダスさんを抱きしめるとともに、「あなたの顔を見ると、自分も大変歳をとったに違いないと思います」と語った。

 ダスさんは、若き日のダライ・ラマ中国軍の追跡を逃れるために兵士に扮(ふん)し、13日間に及ぶヒマラヤ(Himalayas)山中の徒歩移動を経てインドへ到着したときに、その若者に話しかけないようにという命令を受けていたと回想。「われわれの任務はその旅の間、ただ彼を警護することだった」と話した。

 ダライ・ラマは今回、国境を越えてインドへ初めて足を踏み入れた場所である北東部アルナチャルプラデシュ(Arunachal Pradesh)州タワング(Tawang)の僧院に立ち寄った後、グワハティ入りした。中国政府は同州の領有権を主張しており、周辺は中印国境係争地となっている。

 ダライ・ラマチベット自治区の中国からの分離独立を目指しているとみなしている中国政府は、今回の訪問を非難し怒りを露わにしており、中印関係を深刻に損なう可能性もあると警告している。(c)AFP

ダライ・ラマ14世が中印係争地訪問 中国反発」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/world/news/170405/wor1704050077-n1.html

満開の下

北海道の桜はまだ先ですが、

 桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと、桜の花の下へ人がより集って酔っ払ってゲロを吐いて喧嘩して、これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖しいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。近頃は桜の花の下といえば人間がより集って酒をのんで喧嘩していますから陽気でにぎやかだと思いこんでいますが、桜の花の下から人間を取り去ると怖ろしい景色になりますので、能にも、さる母親が愛児を人さらいにさらわれて子供を探して発狂して桜の花の満開の林の下へ来かかり見渡す花びらの陰に子供の幻を描いて狂い死して花びらに埋まってしまう(このところ小生の蛇足)という話もあり、桜の林の花の下に人の姿がなければ怖しいばかりです。

── 坂口安吾(『桜の森の満開の下』)

「東京都心で桜満開=全国一番乗り-気象庁」(時事通信
 → http://www.jiji.com/jc/article?k=2017040200234&g=soc
二十四節気清明』。いよいよお花見本番へ!春季玲瓏・春満開の日本です」(tenki.jp)
 → http://www.tenki.jp/suppl/yasukogoto/2017/04/04/21721.html


桜の森の満開の下・白痴 他十二篇 (岩波文庫)

桜の森の満開の下・白痴 他十二篇 (岩波文庫)

「コミュ力」という妖怪

「【正論】万能薬のように徘徊する『コミュ力』という妖怪 『近代型能力』あってこそ 社会学者、関西大学東京センター長・竹内洋」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/column/news/170403/clm1704030005-n1.html

 「コミュ力」という言葉が飛び交っている。コミュ力が「高い」とか「低い」とかいわれる。コミュニケーション(意思疎通)能力のことである。「コミュ障」(他人との会話が苦痛で苦手)という言葉さえある。コミュ力を高めるための小学生対象のコミュニケーション塾や大人相手のコミュニケーション開発講座などもある。


≪「ポスト近代」のキーワードに≫

 「巧言令色鮮(すくな)し仁」や「沈黙は金、雄弁は銀」などの言葉を耳にし、「沈思黙考」をよしとした世代には時代の変わり様が大きい。

 そもそも以心伝心で成り立ってきた日本社会ではコミュニケーションに該当する日本語がなかった。だからマス・コミュニケーションのようにカタカナ使用だったが、日常用語としては今ほど使用されてこなかった。

 ところが近年は、コミュニケーションが「コミュ」と略され、さらに「コミュ力」が生きる術(すべ)の要のように使用されている。「現代日本に妖怪が徘徊(はいかい)している。コミュ力という妖怪が」とでもいいたいほどである。

 コミュ力が言われだしたのは、知識量や従順、勤勉などの「近代型能力」に対して、これからは創造性や能動性、交渉力などの「ポスト近代型能力」が必要だとされ出したあたりからである。たしかにコミュ力は、サービス労働が主流となり、物を相手にした肉体労働よりも人間を相手にした感情労働の時代になったことと関連している。また変化が激しい流動的社会において、すばやく対応する能力が必要ということにも関連しているだろう。

 そうしたことから、企業でもコミュニケーション能力が重視されることになった。学校教育においても、知識量や努力を重視する「旧い学力」(近代型能力)にかわって「新しい学力」(ポスト近代型能力)が目標とされるようになり、「コミュニケーション能力」が、その柱のひとつになった。こうみてくると、「コミュ力」が時代のキーワードになるのも当然といえるかもしれない。


≪誰でも開発できる万能薬か≫

 しかし、コミュ力という用語がこうも跋扈(ばっこ)するのはそれだけの理由ではないように思える。たしかにコミュ力はポスト近代型能力のひとつなのだが、あくまでひとつにすぎない。創造力や能動性などよりも、突出してコミュ力が関心の的になるのはどうしてかを考えるべきであろう。

 ポスト近代型能力の創造性や能動性などは、近代型能力の受動的な知識量や勤勉とは違って抽象的である。それらが指し示すものがわかりにくい。だからどのようにすれば、どこまで到達するかが明確ではない。そこでコミュ力がなんでも入る、ずだ袋のようなものとなり、万能薬のように闊歩(かっぽ)するのではないだろうか。創造力といわず、コミュ力といえば、誰でも開発できそうだ。そんなことから、食いつきがよいものになる。

 さらに言えば、学校で「腕力」がスクール・カーストの決め手にならなくなったこととも関係している。いまや腕力にかわって、コミュ力による「話し上手」がスクール・カーストの切り札になった。いじめにあわないために空手を習うのではなく、コミュ力を磨かなければいけないという雰囲気になった。こういう変化も関連している。


≪言葉の雰囲気に惑わされるな≫

 しかし、コミュ力という言葉のとっつきやすさと万能薬的な受け止め方には問題がある。そんなことを考えていたときに、面白い本に出合った。

 いまの日本はお笑いタレントが無双化する「芸人万能社会」となっていることを指摘した本である。そうなる理由に、人々が「コミュニケーション(能力)を過剰に意識する」ことが挙げられている。つまり芸人が「コミュ力」や「空気読み」の「お手本」になっているからだという(太田省一『芸人最強社会ニッポン』)。たしかに今時の大学生は、テレビに出ている芸人そっくりのしゃべり方をする。コミュ力至上(と考える)社会のなせるわざであろう。

 しかしどうだろうか。われわれが目にする芸人のコミュニケーションは、バラエティーなどの虚構の世界のコミュニケーションである。だから「盛る」ことも「嘘をつく」ことも芸のうちである。このようなコミュ力をそのまま堅気の実生活に持ち込めないだろう。持ち込めば、「舌先三寸」とか「調子のよい奴(やつ)」とされ、信頼や信用を失うのは目に見えている。

 翻って、コミュ力の「模範」とされる芸人の実生活(舞台裏)を考えてもみよう。舞台裏では、芸を真剣に磨いている。創造性や能動性などのポスト近代型能力はもとより、知識や勤勉、努力などの近代型能力もあだやおろそかにしていない。昔気質(かたぎ)を思わせるほどの律義さをもって人間関係にも気をつかっているはず。そうでなければ一発屋で終わるだろう。

 水面を優雅に泳ぐ白鳥は水面下では必死に水をかいているということだ。コミュ力という言葉の雰囲気に惑わされてはいけない。


水面を優雅に泳ぐ白鳥は水面下では必死に水をかいている」ことを忘れてはならない。

日本人が驚いた!?

経産省の『日本のすごさ』まとめた冊子『世界が驚くニッポン!』が炎上 あまりの持ち上げぶりに日本人が驚いた!?」(産経新聞
 → http://www.sankei.com/premium/news/170402/prm1704020029-n1.html

 外国人向けに日本の魅力を発信するために経済産業省がまとめた冊子に非難が集まっている。伝統工芸などを紹介しつつ、職人の技を支える日本人の特徴を分析する内容で、匠の精神が中高生の部活動にまで根付いていると称賛している。ウェブ上では「謙虚さを世界に知らしめるってもはや謙虚じゃない」などという声が上がっている。

 8日に経産省が発表した「世界が驚くニッポン!」と題された冊子には、東日本大震災でみられた助け合う姿や四季を大事にする自然観などを「和を以て貴しとなす」と説いた十七条の憲法まで持ち出して、「世界は、日本に驚いている!」と大絶賛する。ものづくりやサービス業の振興につなげるクールジャパン戦略の一環で、「新しい日本らしさを再定義し、発信していく」ことを目的としている。

 冊子が公表されると、インターネット上では侃々諤々の議論が巻き起こった。「謙虚な姿勢では商売はできない」「ここまでしないと外国には伝わらない」という好意的な意見もあったが、「自らをクールって自慢するのは日本らしくなくてカッコ悪い」「奥ゆかしいって言葉知らないのかな」などという批判が目立つ。

 冊子には「部活動に励む少年少女は、監督やコーチの指導のもと、懸命に練習に打ち込み、全力を心掛け、何より礼儀作法を教え込まれる。ここには、単純な技能向上としての訓練を超えた、『道』の精神が宿っている」と記述されている。

 連日、甲子園球場兵庫県西宮市)で熱戦が繰り広げられた高校野球もクールジャパンのフィルターを通せば、違ったものに見えてくるらしい。1月の有識者会議では、委員の1人が、中国人など外国人を案内したときに最も喜ばれるのが、中学高校の部活動だと主張した。

 全員丸刈りでそろえ、一列に並んで素振りをする野球部の練習風景が、武道や茶道など、神髄を突きつめていく“道”に通じるのだとか。記者の率直な感覚だと、子供のころ、カンフー映画でみた中国拳法を修行する様子の方がしっくり来る気がして、日本独自の文化といわれてもピンとこない。

 ちなみに、会議では日本野球機構(NPB)の理事も務める委員から「メジャーリーグ関係者からは日本の高校野球は『選手を酷使している』と評判が悪い。高校野球の記述は外していただきたい」と注文が入った。冊子には部活動の具体例は載せられていない。

 確かに、日本の産業を盛り上げる営業マンとして、あの手この手を使って情報を発信するのが、経産省の大きな役目だ。存続の危機にひんした伝統産業を救い、見直すことで、停滞気味の製造業の立て直しにつなげようという意気込みは理解できなくもない。

 とはいえ、国民感覚とかけ離れた行きすぎた情報発信は逆効果になる。最近では、2025年国際博覧会(万博)の誘致検討委員会で、報告書の一部を「関西弁」に翻訳して、ひんしゅくを買った。万博の役割を「『人類共通のゴチャゴチャを解決する方法』を提案する」として、公開からわずか1日で撤回された。

 慣行にとらわれない柔軟な発想が売りの経産省だが、日本のよさを外国人が手放しでほめるテレビ番組と同じようなノリで大丈夫かといいたくなる。この手の自画自賛は、お茶の間で気楽に見るくらいがちょうどいいのかもしれない。

最近の日本は凄い論には違和感を感じる。
日本人は悪かった、自虐史観と変わらない。左翼は右翼を批判し、右翼は左翼を批判する。同じ穴の狢。どんぐりの背比べ。


福田恆存はお見通し。

 日本人が日本を愛するのは、日本が他国より秀れてをり正しい道を歩んで来たからではない。それは日本の歴史やその民族性が日本人にとつて宿命だからである。
 人々が愛国心の復活を願ふならば、その基は宿命感に求めるべきであつて、優劣を問題にすべきではない。日本は西洋より優れてゐると説く愛国的啓蒙家は、その逆を説いて来た売国的啓蒙家と少しも変わりはしない。その根底には西洋に対する劣等感がある。といふのは、両者ともに西洋といふ物差しによつて日本を評価しようとしてゐるのであり、西洋を物差しにする事によつて西洋を絶対化してゐるからである。

── 福田恆存『東風西風』

「WWF、南極大陸で新種、ナンキョクグマを発見!」

WWF南極大陸で新種、ナンキョクグマを発見! *ご注意:エイプリル・フール記事としての発信です」(huffingtonpost)
 → http://www.huffingtonpost.jp/wwf-japan/its-april-fools_b_15719378.html


2017年4月1日、WWF世界自然保護基金)は、南極大陸に生息する新種のクマを発見したと発表しました。これは2016年9月にWWFジャパンが支援する、南極海周辺での科学調査により確認されたものです。


発見につながる最初のきっかけは、海上で採集された不可思議なペンギンの死骸でした。調査隊を率いていたトミー・ワタナベ隊長は、次のように語っています。「調査海域で私たちが見つけたのは、何かの肉食獣に襲われたらしいアデリーペンギンの死骸でした。最初、私たちはこれをヒョウアザラシの仕業かと思ったのです」

しかし、二日後、調査隊は近くの海域で思わぬものを発見しました。

「それは、同じ肉食獣に襲われたと思われる、ヒョウアザラシの死骸でした」

南極大陸沿岸に生息し、最大で3メートルを超えることもある、獰猛なヒョウアザラシを襲う動物はそうそういません。唯一考えられるのは鯨類のシャチですが、死骸にのこされた傷跡、特に噛み跡と、爪によると思われる傷は、明らかにシャチのものではありませんでした。

そこで調査隊は、事務局長の帰還命令を押し切って発見海域を中心に探査を続行。その結果、4日目の朝に、海を泳ぐ大型の動物を発見したのです。

「最初は分かりませんでしたが、それは明らかにホッキョクグマによく似た動物でした。泳ぎはとても巧みで、我々が近づくと海中に潜り姿を消しました」調査隊はその後、遠方の氷上にいるこの動物の撮影に成功。さらにその場所に残された毛も採集することができました。

DNA調査の結果、分類学的には南米に生息するメガネグマ(南半球で知られる唯一のクマ)に近いらしいということが判りましたが、ホッキョクグマと似た生態、特徴も持つと思われ、同様の生息環境下で異なる生物が似た進化を遂げる「収斂進化」の一例としても注目されます。

この世界を驚かせた発見について、WWFジャパン自然保護室長の東梅貞義は、次のように言っています。

          • -

海中でペンギンやアザラシを獲るほどの能力を持つと思われる、ナンキョクグマの生態は、まだ謎に包まれており、どれくらいの数が生息しているかも不明です。しかし、目撃例や報告の少なさから、生息域はきわめて限られていると考えられます。

そうした中で、今年、南極大陸では過去に例を見ない規模での氷の減少が報告されました。
これが気候変動(地球温暖化)による影響なのか、関係性はいまだ科学的に明らかにされていませんが、地球全体で現在、異常気象の発生が認められていることは確かです。

北極での海氷の減少がホッキョクグマを追いつめているように、南極での環境変化がこの新発見のナンキョクグマを、同じく危機に追いやっている可能性は、十分に考えられます。

また、こうした環境の変化が、これまで南極の海で人に知られず生きてきたこの動物を、私たちの目の前に押し出すことになったのかもしれません。

今、「パリ協定」の合意により、国際社会が明らかに示した温暖化の脅威の無い未来に向けた強い意思が、一部の大国の後ろ向きな政策転換によって、妨害されようとしています。

しかし、今回の発見が物語る通り、自然界にはまだ私たちの知らないことが数多くあります。そうである以上、私たち人類はもっと謙虚に、そして真摯に、地球という星の未来を考えねばならないはずです。

今回のナンキョクグマの発見を通じて、今一度、私たちはそのメッセージを、世界の国々とホワイトハウスに訴えたいと思います。

          • -

(写真:今回発見されたナンキョクグマ ※フィクションです)